柄谷行人『遊動論』

柄谷行人『遊動論』

  柄谷氏は、『世界史の構造』で、「資本=ネーション=国家」を超える視点として交換様式から「遊動性」を主張してきた。交換様式Aは互酬(贈与と返礼)、交換様式Bは再分配(略取と分配)(強制と安堵)、交換様式Cは商品交換(貨幣と商品)、そしてDを遊動性とこの本で明確にしてきている。
遊動民(ノマド)は①狩猟採取遊動民と②遊牧民の二種類あるとし、柳田国男の「山人」が①であり、帝国を創る牧畜遊牧民や、網野善彦がいう芸能的漂泊民は②であり、①が「資本=ネーション=国家」を乗り越える未来性をもつという。
  この本は柄谷氏が見た柳田国男論である。柄谷氏は従来の柳田論を批判する。一つは「一国民俗学」の見方に対し、二つは初期の異民族、先住民の「山人」から、「常民」という農耕民の重視にシフトしたという見方である。柳田が一国民俗学を主張したのは、満州事変、大東亜共栄圏など膨張帝国日本の時代に、ポスト植民地主義を目指したからだという。また柄谷氏は「山人」的遊動性を柳田は戦後まで変えていないという。
  柄谷氏は柳田の戦前の農政論で、自治的な相互扶助による協同組合思想を高く評価している。この「協同自助」は椎葉村焼畑狩猟民の遊動性の山人思想から来ているという。互酬・共同所有に、交換様式D を見るのだ。柳田はその平等性を「社会主義」という。
  戦後、沖縄へ傾斜した柳田民俗学を「山人」と「島人」の共通性を「中心−周辺」によって考察しようと柄谷氏は試みている。
  さらに戦後柳田は「先祖の話」を書き、死者の供養として、戦地であえなく戦死した若者を養子縁組にして供養することを提案している。日本の神道ユダヤ教のように普遍宗教にしようとする折口信夫に反対し、柳田は祖霊と生者の相互的信頼と、死者が常に子孫の傍にいることを「山人」の「固有信仰」と見る。祖霊を神と考え、父系でも母系でない「双系性」を遊動民の信仰と柳田は考えた。
  柄谷氏は、柳田は生涯、定住以前の遊動性に取り組んだというが、果たしてこれが資本や国家を乗り越える軸になるのかは、今後の柄谷氏の考察を待ちたい。(文春新書)