クライスト『こわれがめ』

クライストを読む(2)
『こわれがめ』

            クライストの喜劇作品である。裁ばく裁判官が裁かれる者であり、いかに欺瞞で取り繕うとしているかを暴く面白さがあるが、その底にはクライストの人間相互不信や、官僚制度のいんちきさ、真実の宙づりなど不条理性がある。
           権力の詐欺的欺瞞性を暴くという喜劇で、私はゴーゴリの『検察官』という戯曲を連想した。裁判を司る村長が、若い娘に言い寄るため、その婚約者の兵役を利用して部屋に忍び込み、婚約者に見つけられ、瓶を壊して逃走する。その翌日巡回の司法顧問官立ち会いの下、母親からこわれがめの犯人を捜し出し、賠償責任を求める訴えがだされ、犯人の村長が裁判長として審理をおこなう。
           その審理過程が滑稽化されていて面白いが、母親と婚約者、恋人同士、役人同士の疑惑と猜疑、そして相互不信が増幅されていく。徴兵制という国家権力による強制兵役が、いかに愛国心という名のもとに、行政権力で欺瞞化されているかが、その深層にある。カフカの『審判』に似た不条理の思想がある。
           だが、クライストの劇には滑稽さがおおくあり、喜劇として成功している。人間の相互不信や「真実」の不価値性という悲劇性をはらんでいてもである。クライストには、「マリオネット芝居について」というエッセイがある。(『チリの地震河出文庫収録)
           このエッセイでクライストは、マリオネットが示す重力脱却の軽やかな優美さを論じて、理性的な反省意識や自意識の欺瞞性から開放された無意識の人形を賛美している。フランス革命やカントなど啓蒙思想に不信感をもち、人間の感性や感情に救いを求めようとするロマン主義との狭間で、宙ぶらりんのクライストの苦悩がある。(岩波文庫手塚富雄訳)