パヴェーゼ『月と篝火』

パヴェーゼ『月と篝火』
   20世紀イタリアの小説家パヴェーゼの小説は、「物語詩」のように読める。貧しい北イタリアの丘陵地帯の農村風景が、抒情詩のように描かれている。夏至の夜に収穫の豊作を願い、再生と豊饒のため篝火を焚く。この小説は土着的な祭りの場面が生き生きと描かれている。だが、再生と豊饒の篝火は、同時に供犠の死の火でもある。悲劇小説だ。
  この小説は、私生児として生まれ、農家に養育費付きで下男として育てられる「うなぎ」と呼ばれる少年の成長物語でもある。二十歳まで働き、労働運動にのめり込み、逮捕寸前にアメリカに移民として逃れ、成功し金持ちになった「うなぎ」が、30年ぶりに故郷に戻り、少、青年時代の生活を回想する「失われた時を求めて」でもある。
  「うなぎ」がオデッセウス的放浪人だとすると、少年時代の年上の友人ヌートは、定着民でこの農村に住み続けている。この二人が過去の生活の思い出を、引き出していく。ノマドと定着住民が象徴されている。アメリカにいる間、この北イタリアの農村では、戦争とファシズムと、レジスタンスの内戦があり、神話的少年時代は消え去っていた。残っていたのは、貧富の格差と貧困の激しさだ。
  「うなぎ」が下男をして憧れだったモーラ農場の三姉妹は、それぞれの人生で悲劇的結末を迎えたことが明らかにされていく。金髪の美しい末娘は、内戦時代にファシストのスパイとして機関銃で射殺され、葡萄の枝で覆われガソリンをかけ燃やされる。ヌートはいう。「去年までそこに残っていた、篝火を焚いたような跡が」
  もう一つの篝火。「うなぎ」はかって住んでいた荒屋で、足が悪い少年チントと知り合う。この父は強欲なブルジョワ夫人の小作人で、その取り立てに苦悩し、家庭内暴力に走り、最後に妻娘を殺し火をつけ、自分も首を吊る。少年チントは逃げ助かるが、「うなぎ」は、自分の再来をチントに見る。
  パヴェーゼの小説は、現実のリアリズムであるとともに、象徴的物語でもある。なにか神話を読んでいるようだ。パヴェーゼが自殺する前の最後の作品である。翻訳の素晴らしい。(岩波文庫。河島英昭訳)