阿川尚之『憲法で読むアメリカ史』

阿川尚之憲法で読むアメリカ史(全)』

    アメリカ合衆国憲法は独立以来200年に27回の憲法修正がおこなわれたが、建国以来大筋は変わっていない。阿川氏は歴史を丹念にたどり、連邦最高裁の在り方や判決をたどり、その変化を明らかにしていく。
    判決でいかに憲法革命がおこなわれたか。第一は、1787年各州代表が連合規約を無視して新憲法を起草したとき、第二には南北戦争を契機に新修正条項が成立し連邦と州の関係が変化したとき、第三は20世紀前半に、ニューディールの諸立法で行政と司法が対立し、最高裁憲法判決が変化したときを、阿川氏は詳しく辿っている。
    私はニューディール政策を巡り、違憲判決と合憲判決が、保守と進歩の判事に交代などで代わり、経済立法に関して、大統領権限が拡大し、州より連邦の力が強まり司法審査が変わった点に興味をもった。また戦時の大統領権限強化による立法府より強くなり、日系アメリカ人を内陸収容所に強制移転されたことにたいするコレマツ裁判で、合憲判決をだし、1984年にこの有罪判決が取り消され、連邦議会が正式謝罪する司法のブレも書かれている。
   個人の自由と人権重視は、19世紀末の憲法14条修正の制定で確立され、言論の自由を「明白かつ現在の危険」以外は認められる判決が出た。ペンシルヴァニア州の学校での国旗敬礼拒否にたいし、国家安全から合憲判決がでたが、1943年最高裁は思想と信念の表現の自由から違憲だとした。
   冷戦時代のウォーレン・コートでは、進歩的憲法解釈が強くなり、司法積極主義で、黒人人種差別・人種別学を違憲とする「ブラウン事件判決」がだされる。南部の抵抗はつよかったが、人種同学から公民権運動さらに少数者権利を認めるアフォーマティブ・アクションの導火線になる。プライバシーの権利や女性差別の廃止など、最高裁は積極的に勧める。
   議員定数不均衡を裁くベーガー対カー事件で「一人一票」の原則は厳格に守ろうとし、1・3対1でさえ違憲判決が出ている。阿川氏の本は、ニクソン大統領のウオーターゲート事件げ録音提出の判決を出し、大統領辞任にまで追い込んだところで終わっている。
  その後の最高裁の在り方を書いてもらいたいと思う。阿川氏は、最高裁アメリカ刻政上これほど大きな役割を演じると、200年前の憲法制定時には誰も思わなかったが、大統領指名の最高裁判事の承認は、上院議員の投票で決定する手続きは今まも変わっていないと述べている。三権分立の精神は生きている。(ちくま学芸文庫)