ピランデッロ『月を見つけたチャウラ』(短編集)

ピランデッロ『月を見つけたチャウラ』(短編集)
   私は、ピランデッロの短編小説を読むと、ドイツのホフマンの幻想小説を連想してしまう。人生の不条理を幻想文学として描いていく。ホフマンの方が、幻想が深く深刻だが、ピランデッロは、暖かい共感性をもち、より滑稽な諧謔を駆使している。日常のシシリアの生活が入ってくると、チエホフの短編にも似通ってくる。
   ピランデッロ幻想文学は、ある達観した同情がある。幻想による現実と虚構の狭間にユーモアさえ感じられる。「ひと吹き」は、自分のひと吹きで、他者が死んでいく、世界が消えていく恐怖の幻想から組み立てられている。「ミッツァロのカラス」は、鐘を鳴らしながら空を飛ぶカラスを捕まえ、いじめようとした馬車引きが、カラスの仕返しで死ぬ。
   人生は道化に似ているといい、本来の自分と世間で纏う仮装との齟齬感は、太宰治的だ。訳者の関口英子氏によると、ピランデッロは、父の硫黄鉱山の破産、妻の精神病、その嫉妬で娘との近親相姦を疑われ、娘も病み自殺未遂を起こし、息子も戦争で捕虜になる苦難の人生だったという。ピランデッロの救いは短編小説と、戯曲を書くことだけだったのかもしれない。1934年にノーベル賞受賞のとき、タイプを叩き「道化だ、道化だ」と叫んだという。
  「登場人物の悲劇」では、登場人物が作家のもとを訪れ、自分の扱いの苦衷を訴える。「紙の世界」では、一生を本に埋もれ、盲目になった老人が、若い女性に朗読してもらうが不満で、黙読しろという。「フローラ夫人とその娘婿のポンツァ氏」では、姑と娘婿のどちらが本当のことをいっているのか不確定で、町の人々が幻惑されていく。いい翻訳でわる。(光文社古典新訳文庫、関口英子訳)