『ラ・ロシュフコー箴言集』

ラ・ロシュフコー箴言集』

 「書物より人間を研究することがいっそう必要である」
 「われわれが美徳と思いこんでいるものは、往々にして、さまざまな行為とさまざまな欲の寄せ集めに過ぎない」
 「自己愛こそはあらゆる阿諛追従の徒の中の最たるものである」
短い箴言500余が、17世紀フランスの大貴族ラ・ロシュフコー公爵によって書かれた。箴言一つ一つを読むのもいいが、私は独白文学として読み下した。仏文学者渡辺一夫は、17世紀モラリスト文学を「人間性研究文学」と訳し「或る時代における人間の習俗・性格を、散文で、随筆ふうに、或いは格言ふうに、分析記述した作品」という。デカルトパスカル、劇作家モリエールまでその延長線上にあると指摘している。(『曲説フランス文学』筑摩叢書)
  フランス文学史家ソーニエは、彼の思想は失望した一個の人間のペシミズムであるといい、「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳にすぎない」をあげ、すべてを自尊心と利害によって説明しているという。(『17世紀フランス文学』白水社)英国の批評家リットン・ストレイチーは「すべては空なり」の空しさを、痛烈な人生観察により、「空虚な自我主義や、卑小な利己主義」がもたらす美徳の裏側を描いたという。(『フランス文学道しるべ』筑摩叢書)
  たしかにそうした面があるだろう。ロシュフコー公爵が生きた時代は、デュマ描く『三銃士』の時代であり、宗教戦争リシュリュー枢機卿支配と貴族同士の内紛のフロンドの乱の時代だった。そこには権謀・陰謀が渦巻き、人間の自己愛や不信感が見抜けなければ生き抜くことは難しい。同時に貴婦人によるサロンで才気が必要であり、寸鉄心を射抜く格言・箴言が持て囃されただろう。
   私は今回読んでみて、栄誉や名声への「業」のような「欲」が、みせかけの美徳の中に見出せることを率直に指摘する公爵を、真実の道徳追及者をみるとともに、19世紀の哲学者ニーチェの『善悪の彼岸』のような「道徳の権力性」も先取りしていると思えた。
  この文庫本には「削除された箴言」として「自己愛」について長めの考察がある。今日本の学校教育では、道徳教科の新設が言われているが、モラリスト文学の人間研究を読ませた方がいいと私は思う。(岩波文庫、二宮フサ訳)