黒田基樹『戦国大名』

黒田基樹戦国大名

   1980年代以降に戦国大名の研究は急速に進んだ。その結果、織田・豊臣政権と戦国大名が切り離されていたのが、黒田氏のように戦国と近世大名を連続性で捉えようとする歴史観が強まった。現代の主権国民国家と同じような「領域支配権力」としての戦国大名が、地域国家の乱立による戦争の日常化から、いかに戦争を前提にしない平和地域の確立にいくかは、現代国民国家にも多くの示唆を与えてくれる。
黒田氏は相模の北条氏,甲斐の武田氏、駿河の今川氏、越後の上杉氏などの「戦国遺文」など史料を丹念に研究し、「太閤検地」「兵農分離」「石高制」「楽市楽座」などは、北条氏など戦国大名にも見られ、その連続性のうえに織田・豊臣政権から江戸大名までが成立していると指摘している。
   戦国大名は、「家中」と「村」が存続してはじめて成立する。戦争の恒常化のなか、家中構成員が自力解決を自己規制し、自分たちを超越する大名家を創り出し領域内で平和状態を成立させようとした。戦国大名の領域が、平和領域の単位になる。
村同士の境界や用水、入会などの自力解決の紛争は抑止される。黒田氏は北条氏を中心に家臣団の構成、寄親寄子制、御恩と奉公、百姓の家臣化、税制、検地、大名と村の契約、関所など出入国管理、宿と市、楽市楽座、徳政などを描いていく。目安箱や裁判制度も紛争解決の行政機構として、完備していたというのも驚く。
  だが、戦国大名は、戦争をする権力体である。なぜ戦争が日常化したかを、黒田氏は慢性的飢饉とともの、領域の国境の地域の従属する「国衆」への支援体制という「名誉」の構造から説明している。今でいう「集団的自衛権」発動である。その場合、領国内の村の戦争参加が起こる。
戦国大名の戦争は、正規軍だけでは成り立たず、当初から村の武力動員を内包していたと黒田氏はいう。領域の境目は日常的に戦争状態だった。現代の国境紛争にている。織豊政権から徳川政権の統一による平和の成立により、戦争から飢饉や災害対策の重視、社会福祉が可能になった。(平凡社新書