サンデル『これから正義の話をしよう』

マイケル・サンデル『これから「正義」の話をしよう』


 市場勝利主義の時代、市場化できない人間の市民生活の価値から市場の限界を考え、正義と善き生による「共通善に基づく政治」を探究するのが、サンデル氏の哲学である。サンデル氏の語り口が、現代が抱える道徳的ジレンマを日常市民生活のなかで、葛藤・対立の討議として提出していくのが面白い。
 それは多岐に渡り、マイケル・ジョーダンの高額報酬、ウオール街の銀行経営者の巨額ボーナス、戦争の志願兵=傭兵、インドでの代理母など妊娠・出産の外部委託、公開市場での臓器売買、ES細胞利用や妊娠中絶、大学入学の差別是正措置、民間警備会社の警察代行、刑務所民間委託、同性婚など数多くの事例を元に「正義」とは何かが論じられていく。知的スリルさえ感じてしまう。
サンデル氏は正義に関する思想を三つに分ける。一つは正義を快苦による効用や福祉を最大化する「最大多数の最大幸福」の功利主義、二つは選択の自由を尊重し、自由市場での選択を重んじるリバタリアンや、平等な原初状態での平等をもとめておこなう仮想社会契約平等主義的正義論(ロールズ)、三つ目はアリストテレスを起源とする正義には美徳を涵養することと共通善について論理的に考えることである。
 サンデル氏によれば功利主義は正義と権利を快苦の一つの統一価値基準での計算の問題にしていると批判し、二つ目のカントやロールズの正義論は超越・先天的な道徳価値に傾斜しすぎる。具体的な市民生活における正義は三つ目の美徳の涵養と「共通善」にあるとサンデル氏は説く。
 そこから公共の重視、連帯と奉仕などコミュニティの市民道徳、公民的価値に基づく政治がサンデル氏の主張になる。市場の道徳的限界が強調される。いま、アメリカはこうした正義論を必要とする市場社会危機にあるのかというのが、私の読後感であった。(ハヤカワ文庫、鬼澤忍訳)