バルザック『ツールの司祭 赤い宿屋』

バルザック雑読(3))
バルザック『ツールの司祭 赤い宿屋』

  「ツールの司祭」はバルザック中編の傑作だろう。19世紀フランス王政復古時代の地方都市ツールを舞台に、善良だが愚鈍な助祭神父が、権力に野心を持ち、ルサンチマンに燃えて、雌伏していた修道会の神父による計画的な復讐で、破滅していく物語である。
  その野心家に操られ利用される老嬢が、助祭にたいし「いじめ」を行う情景は、陰惨で不安と恐怖さえ感じる。なお仏文学者・寺田透にこの小説を取り上げた『人間喜劇の老嬢たち』(岩波新書)という面白い本もある。
  野心と復讐と「いじめ」の舞台は、閉鎖的な地方社会と教会組織であり、地方の貴族社会と中産ブルジョア社会の争いが背後にある。この野心家神父も、先輩の司祭に警戒され、窓際に追いやられ、貴族の社交界から締め出されるという恨みを、10年間も耐えて復讐を計画していく。その先輩が死に、可愛がっていた善良な助祭が、その家屋に住み後継に成ろうとした時、冷酷な復讐が老嬢を使って始まるのである。
  私は、この野心家神父の姿に、ドイツ文学のシュテファン・ツワイクの『ジョセフ・フーシェ』というマキアヴェリストで陰謀家の存在を、思い起こさせた。この神父も、ツール司祭から上院議員になることが示唆されており、老嬢の巨額の財産を、その死後遺贈されるのである。
  一生オールドミスである老嬢の心理も、そのエゴイスト的な些細な嫌がらせの数々とともに、見事に描かれている。オツボネ的な憎悪と嫉妬。脱世間的な僧侶社会が、いかに利己主義と出世主義にまみれているかが抉りだされている。また小貴族たちが、やはり自尊心と虚栄心に彩られ、自己保存と名誉獲得のため、いかに日和見であるかも明らかにされている。
  この小説は、19世紀フランス社会の一断面を描いているが、現代日本の閉鎖社会においても決して他所事ではないと思う。(岩波文庫、水野亮訳)