村岡晋一『ドイツ観念論』

村岡晋一『ドイツ観念論


ポストモダンの時代に、リオタールは「大きな物語」の終焉を述べていた。その時大きな物語とは、ドイツ観念論マルクス思想など近代思想が想定されていた。だが村岡氏の本を読むと、ドイツ観念論は「理性の体系」「自由の体系」を確立し、それまでの過去を総括し現在から振り返り、既に頂点の目標に到達し、これまでの「大きな物語」を終焉させたという。つまり「終末論的陶酔」の哲学だったという。この本ではカントからフィヒテシェリングそして「いま」「ここで」「それでよい」という「絶対知」のヘーゲルまでを取り上げ,「大きな物語」の終焉から、新たな創造へに向かおうドイツ観念論の在り方を描いている。
 村岡氏はカント思想には「理性」の自己批判の思想であり、理性は人間の永遠不変の本質だから「歴史」が入らないという考えを否定し、カントこそドイツ観念論の祖であり終末論的陶酔の哲学だという。村岡氏はカント哲学を「関係性の哲学」という面を強調し、孤独な「私」から「われわれ」の共同体の構築への新しい歴史に立っていると指摘している。フィヒテの思想は自らを定立する自由の体系だとし、自我を自己否定しみずからの「外」に開き自分を乗り越え、より強い自分に超越していく。つねに世界の抵抗を超越し、自然を否定し乗り越える。ニーチェ的だと思う。フランス革命の思想と連動していると村岡氏は位置づける。シェリングは人間と自然との同一性・同種性の自然哲学であり、共感による自由の有機的連帯の哲学だともいう。
 村岡氏の本で一番力がはいっているのは、ヘーゲルであり、『精神現象学』の読解である。村岡氏はヘーゲルの真理は、「ことば」と「他者」に住むという。語られたものだけが真理であり、他者との共存は可能かを「主人と奴隷の弁証法」から綿密にといている。コジェーブを通してフランス・ポストモダン思想に大きな影響を与えたのもよく分かる。村岡氏によればヘーゲルこそが「終末論的陶酔」の哲学の最終思想ということになる。歴史が「学的体系」となり終末を迎え、「いま」「ここで」「それでよい」という勇気を与え、初めから自由に前進を始めるきっかけを、ドイツ観念論は与えたと見る。(講談社