三好達治『詩を読む人のために』茨木のり子『詩のこころを読む』

三好達治『詩を読む人のために』
茨木のり子『詩のこころを読む』

  詩人による詩作品の読解である。三好の本は島崎藤村から泣菫、白秋から萩原朔太郎中原中也堀口大学など戦前近代詩を扱い、茨木は谷川俊太郎黒田三郎岸田衿子川崎洋吉野弘石垣りんなど戦後詩を取り上げている。この二冊を読むと日本近現代詩の流れの一局面が浮かび上がってくる。同時に詩人が感動した詩を取り上げ自己に即して語っているから、三好や茨木の詩の理解にも通じてくる。どちらの本にも、「知性の感性」が感じられる。
  三好は藤村「千曲川旅情の歌」から始めているが、定型57調の音韻上の快さと風景形象のなさを指摘する。「小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ」には8個のO母音が絶対優勢でそのリズムが快さを引き出すという。泣菫「ああ大和にあらましかば」や蒲原有明有明集」、白秋「邪宗門」の空間・時間を越えた象徴詩や漂泊感を論じている。なぜ近代明治末にフランス象徴詩形態が歌われたのかは面白い問題である。
  大正にはいり、口語自由詩の時代になり、日常性が詩作品の主題になる。三好は高村光太郎山村暮鳥中川一政中野重治らを取り上げている。私が面白かったのは、朔太郎の「月に吼える」などの詩について、人称の単数複数の無視、文法的論理の無視による非論理性が幻惑的、奇術的な象徴を生み出しているという指摘だった。堀口大学の詩が評価の高いのも面白い。
  茨木は「誕生から死」までの詩が並べられ「恋唄」も多い。やはり谷川俊太郎の詩の読みが光る。さらに女性詩人を多く取り上げている。
  高良留美子、滝口雅子、岸田衿子石垣りんの詩。戦後詩は、象徴詩よりも、日常状況詩に傑作が多いと思う。私は石垣りんの詩が好きなので、茨木が「幻の花」を取り上げ、おなじ姿をしていても、今はない花を祖先の花だけでなく、天の摂理と読んでいるというのに同感した。「そうして分かれる/私もまた何かの手に引かれて」と石垣は歌う。(どちらも岩波書店