小野健吉『日本庭園』

小野健吉『日本庭園』


 和辻哲郎は『風土』のなかで「日本の庭園において自然の美の醇化・理想化を見出す」と日本芸術の風土的性格の第一として、庭園を挙げている。加藤周一は『日本の庭』で西芳寺の庭の苔という素材そのものの美しさ、修学院離宮の樹木という素材の美、竜安寺・石庭の石砂の「精神の素材」の美を感じている。小野氏のこの本は古代から現代までの日本庭園の歴史を描いたものだが、歴史を辿ってみると多様であり、時代によりいかに変化したかがわかり楽しい。また最近庭園遺跡が発掘され、復元整備されてきている。古墳時代の城之越遺跡、奈良時代平城京東院庭園、室町時代一乗谷朝倉義景館跡庭園など1千数百年の庭園が残っているのは世界でも珍しい。
水と石が古代の庭園の重要なデザインにある。古墳時代の水辺祭祀場としての庭は湧水・流路が祭祀の場にある。飛鳥時代朝鮮半島からの先進技術で幾何学的平面の池と精巧な石造物(石神遺跡や酒船石など)が造られる。奈良時代になると中国・唐の庭園を基盤に、曲池、州浜、景石・石組の平城京の庭園が出てくる。小野氏は唐から学んだといっても、当初から日本の自然景観の反映があり以後の「日本庭園」の基礎になったという。
平安時代寝殿造り庭園、極楽浄土を模した平等院の浄土庭園が現れる。鎌倉時代室町時代には禅宗の思想の象徴としての庭園が夢窓疎石天竜寺の「借景」や「縮景」や枯山水様式に行き着く。さらに戦国時代の草庵風の茶は、千利休の茶室と露地のデザインを産み、市中にありながら山居にいる庭と、醍醐寺三宝院や二条城二之丸庭園の樹木と石の豪華さに二極分解する。
江戸時代には池庭を基盤とし、露地や枯山水まで取り込んで回遊式庭園が浜離宮や後楽園などの「大名庭園」として造られる。そこは社交や行楽の庭になる。明治維新以後の近代の庭園は象徴主義から脱却して「自然主義風景式庭園」が主流になり椿山荘、三渓園などである。西欧的合理主義の庭園を学んだが、そこには日本的自然景観の伝統は残されている。今後どのような日本庭園が創造されるのか楽しみになる本である。(岩波新書