村井靖彦『出雲と大和』

村井康彦『出雲と大和』
 
古代史では3世紀の邪馬台国卑弥呼の存在は、長年にわたり論争されてきた。村井氏は方々の神社を歩き、祭神信仰を調べ、それを記紀出雲風土記魏志倭人伝で読み解き、邪馬台国は、出雲族連合王国として大和に存在し、神武東征によって「国譲り」をして滅亡したという学説を立てた。その中核は出雲の主神・大国主命信仰であり、それが大和・三輪山の祭神になっている事実からである。これまで出雲が大和朝廷に隷属していたという定説を覆すことに私は驚く。
出雲の弥生時代での大きな役割は、最近の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡からの多数の銅剣・銅鐸の発掘、さらに出雲大社境内から社殿を支えていた巨大な心御柱の発見などで注目が集まっていた。村井氏は各地を歩き、出雲系のご神体が巨岩である磐座信仰であり、さらに四隅突出墓(ヒトデのように墳墓の四隅が突起している)を見つけ出し、古代出雲が鉄鉱脈と鉄生産のため、山を歩きして磐座信仰にいきついたと考える。天皇家の神体が鏡であるのと対照的だ。
出雲氏族は、瀬戸内海でなく出雲―吉備―丹波日本海ルートから大和に入り、邪馬台国を建設し、周囲に出雲氏族である葛城、尾張地域まで配置し、物部氏尾張氏、海部氏、葛城氏、蘇我氏を置いた。私は、これらの氏族が次々と滅びていったのは、出雲系だからなのかなと推測してしまう。古事記日本書紀邪馬台国卑弥呼の記述がなく、大国主命が多数とりあげられているのは、天皇家と別王国だったからである。では何故大国主命が取り上げられたのか。村井氏は神武東征で武闘派・ナガスネヒコに苦戦しそれをほうむった和平派ニギハヤノミコトの「国譲り」で、神武天皇家は大和朝廷を確立出来た。それが大国主命の「国譲り」の神話に投影されたというのだ。
 面白い。私は日本には中国的「革命」は存在しないが、「国譲り」という妥協的変革はあったと思っている。そのDNAは明治維新江戸幕府天皇家への「国譲り」から、第二次世界大戦で本土決戦を避けた昭和天皇アメリカへの「国譲り」までつながっていると思う。
村井氏は、地道に神社や国府跡をフィールドワークし、神話と史書を付き合わせ、このような出雲氏族復興の古代史に行き着いたことに敬服する。(岩波新書