『現代小説クロニクル(2010−2014)』

『現代小説クロニクル(2010―2014)』

   この時期は、東日本大震災福島原発事故、さらに安保法制の集団的自衛権、テロの時代に、日本に取り付いている。
 小説では、この巻に収録されている短編は、男性作家と女性作家では分裂しているように思う。男性は、ポストモダン的な仮構社会への不安があるし、女性は、現実生活のなかの不安がある。
男性では、円城塔「考速」は言語のゲーム的な揺らぎを扱っているし、小野正嗣「みのる、一日」は、英語と日本語の齟齬と言語不信が見られる。高橋源一郎「さよなら、クリストファー・ロビン」や松浦寿輝「塔」は、メタフィクションで断片的な物語のなかに、現実世界とは別の仮構の可能世界を描き、生活世界の不安がにじみ出てくる。
女性では、伝統的な小説形式になかで、生活の襞のなかの揺らぎを書いている。村田沙也耶香「街を食べる」は傑作で、東京の高層ビル街で雑草を探し採取し食べる。そこには、人工化しファーストフード化した都市食に対する仮想社会と、野生の可能の生活が浮かび上がってくる。
津村記久子うどん屋ジェンダー、またはコルネさん」も、うどん屋という食の場で、食の自由に対する一人の女性の反乱を描く。食が情報化されすぎ、解釈や店の評価のうるささは、野生の食の嗜好を失わせていく。
朝吹真理子「きことわ」は、二人の女性が20数年ぶりに再会するが、少女期にともに過ごした逗子の家の解体とその記憶を描く。二人の女性の記憶の強弱はあるが、失われた時を求めてかと思い読むと、この家の解体が、少女時代の崩壊していく記憶と重なってくる。時間というものが溶けていき、現実も溶けていく不安が、じわじわ伝わってくる。
高村薫田舎教師の独白」や、瀬戸内寂聴「夫を買った女」「恋文の値段」は、巧みな短編小説手法で、人間関係の「つながり」「連帯」とのはかなさを描いていく。やはりこの時代の小説だ。(講談社文芸文庫日本文藝家協会編)