お山慶太『寺田寅彦』

小山慶太『寺田寅彦



東日本大震災以後、20世紀始めの文人・物理学者寺田寅彦の本が読まれている。専門の学術論文約260編とそれに匹敵する数のエッセイは、漱石門下だったとはいえ近代日本が産んだ随筆家として輝く。1915年には「地球物理学」を出版しており、「国防と災害」を提案していた。いま自然科学は巨大化・専門細分化しているが、寺田はあくまでも「日本的物理学」にこだわり、等身大の日常性の物理学を称揚していた。20世紀物理学は、相対性理論量子論など人間の日常を超越した科学を形成し、それが原子核分裂、放射能技術まで行き着き、原爆や原発の技術まで行き着いたことを思うと、ちょうど寺田の時代が古典物理学と現代物理学の分水嶺であったといえる。
小山氏は日常身辺に起こる現象を日本人の眼で物理化すると、それはおのずから古典物理学の世界に限定されるという。寺田の「尺八の音響学」「椿の落下運動」「線香花火」や「藤の実の飛び散るメカニズム」などは、俳句と物理学を連携させ、日常身辺の中から複雑な現象をモデル化し、そのダイナミズムの本質を取り出した。そこには電子も原子も、X線や放射能も、極低温も超伝導も、相対性理論の時間や空間の歪みなど日常では直接観測されないものは取り上げられない。
だが小山氏の本で寺田が20世紀の新しい物理学にも深くかかわり、X線結晶学によるX線回析など放射線の研究にも取り組んでいたことを知った。原子の内部構造の論文もあり、ボーアの原子論も紹介している。日本で原爆開発を試みようとしていた理化学研究所仁科芳雄と同僚でもあり、長岡半太郎の原子模型についても論じていた。といっても寺田は、日常身辺の物理的問題にこだわったのである。小山氏は寺田を英国のレイリー卿と比較し「道楽科学者」といい、現代物理学がハイテク装置とスーパーコンピュタを多用する超科学になっているが、小山氏は「文理融合の視点で自然を全体論的に捉え、和魂洋才の技法で真理をその独特の研究スタイル」でとらえることを「寺田物理学」と名づけ、郷愁をともなって学問の原風景を見ると述べている。(中公新書