シュニッツラー『夢小説 闇への逃走』

シュニッツラー『夢小説・闇への逃走』


 ノルウェ−で右翼キリスト原理主義者の若者がイスラム移民に反対し、大量殺害テロをおこなったと報道された。ちょうど20世紀始めナチスが政権をとる前のウィーンでシュニッツラーが書いた小説を読んでいた。実存的不安と死と愛を描いた作家だが、晩年のこれらの小説は精神分析学者フロイトのように、現実と夢、妄想と強迫観念、仮装と偽善の世界を、医者らしく冷静に描いている。
「闇への逃走」は官僚である若者が、妻が死に毒殺したという妄想に苦しめられ、婚約者もアメリカ人にゆずり、転地療養のあと再び別の女性と婚約するが、医者である兄や周囲の目に強迫妄想を抱き、不安が増幅していき逃走するが、最後に訪ねてきた兄を射殺してしまう。妄想と現実が次第に境目がなくなり、迫害されるという被害妄想の不安が見事な心理描写で描かれている。不安によるサスペンスが、この小説家にはある。
「夢小説」もサスペンス小説としても読める。仲が良い夫婦の深層には、妻が夢見る「夢」に性的欲望と仮装した夫婦の心理が映し出される。夫の医者は、夜のウィーンをさまよい、謎の仮装舞踏会に入り込み危険にさらされるが、最後までこの謎はとかれない。もしかして、これは夫の夢の中なのかも知れない。訳者の池内紀氏はフロイト『夢診断』と比較している。世紀転換期のウィーンで近代的人間の限界と解体が、他民族、多言語によるオーストリア帝国の解体とかさなり、人格のアイデンテイティの崩壊に至る精神状況があつたのではないか、それがフロイトやシュニッツイラーに現れているのではないか。田村晃『ウィーン』(岩波新書)はこのあたりを解明して面白い本である。(岩波文庫池内紀武村知子訳)