ユゴー『死刑囚最後の日』

ユゴー『死刑囚最後の日』

ユゴー『死刑囚最後の日』
        
ロマン主義は理想主義である。フランス19世紀の作家ユゴーが、28歳の時書いた死刑廃止の小説だ。判決を受けて断頭台に昇る若者の牢獄での苦悶が如実に描かれている。
私も末期ガンで死期がいつ来るかもしれない。だから6週間の死刑囚の、いつ刑を執行されるかと絶望と悲嘆の心境が、読んでいてよくわかる。問題は病気でなく、国家が作り出した人為的制度にある。
ユゴーは社会共同体から害になる者は排除しなければならないという死刑制度賛成の主張に対して、それなら終身懲役で十分であるとし、問題は被害者をはじめとする社会の復讐心にあることを指摘する。ユゴーはいう。社会は「復讐するために罰してはいけない」改善するために矯正すべきであると。
さらに死刑賛成論が悪に対する「実例」を死刑で示すことによって、犯罪の予防になるとするのに対して、ユゴーは実例を示すことによって、逆に民衆の道徳を退廃させ。その感受性を滅ぼすと反論する。
この小説でも描かれているが、フランスではギロチンをはじね死刑は民衆の娯楽見世物だった。だが、秘密に地下で死刑を実施するのは、もっと退廃的であるとユゴーはいうのだ。
国家が国民を殺すのは、戦争と死刑制度だ。ユゴーもふれているが、政治思想犯の死刑は。政敵を殺す卑劣な方法である。さらに冤罪という問題もある。死刑にしてしまえば再審も難しくなる。
私は今後死刑を廃止すると共に、末期がんなどの「安楽死」制度を考えるべきだと思う。囚人でも希望があれば適用すべきだと思う。
ユゴーの筆致には迫力があり、読んでいると死刑の廃止が必要だと思ってしまう。28歳の若さでこれだけの文章が書けるのに感心した。(岩浪文庫、豊島与志雄訳)
        
 

ファクラー『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』

ファクラー『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』

ファクラー氏は、日本で20年近くジャーナリズムの仕事をし、ニューヨーク・タイムズの元東京支局長だった。安倍政権の記者会見が、いかに事前に質問事項を提出するかに驚く。オバマ大統領の会見、自由に質疑が行われているからだ。
ファクラー氏は大手メディア始め、安倍政権のメディアコントロールにひれ伏しているのは、言論の自由の危機と見ている。具体的に2014年に自民党が公平中立の報道への圧力をテレビ局にかけ、アメリカなら報道の自由侵害になる。
さらに朝テレ「報道ステーション」に放送法を盾に、古賀茂明氏降板に追い込む。夜食を安倍首相と大手メディア幹部が繰り返すなどアメリカでは考えられないという。
ファクラー氏がメディアの自壊としているのは、朝日新聞が入手した「非公開」の福島第一原発の「吉田調書」に欠陥があったと攻撃したことだ。ファクラー氏が驚くのは。いい機会と読売や産経など同業者が足を引っ張ったことだ。「タコ壺型ジャーナリズム」。
メディアの自由がうしなわれれば自己にかえってくる。アメリカではジャーナリズムが団結連帯し抵抗する。従軍慰安婦報道もそうだ。お互いに足を引っ張る。政権の思うつぼだ。
慰安婦問題が海外で国益を傷つけたというのは、あり得ないとファウラー氏は見る。記者個人に「反日記者」「ねつ造記者」のレッテルをはり、記者個人や家族まで攻撃するネット右翼は、マッカーシズムヒットラーのやりかただ。
2006年朝日が、調査報道にのりだし「特別報道部」を作り、原発村の弊害を「プロメテウスの罠」で報道したことに危機感をもった政権が、それを潰すために「慰安婦報道」をとりあげたとしか思えない。
アメリカの調査報道は、ニクソンウォーターゲート事件以来伝統がある。いまや、デジタル時代になり、ウィキリークスやスノーデン事件にまで発展している。アメリカの監視国家化は、記者個人への盗聴など監視を強化している。
ファクラー氏は、それは日本の未来だという。だが、果たして日本メディアは権力と戦えるだろうか。私は、読者市民の支持が報道の自由に必要になり、大きな闘争が監視国家に対して起こるときが来ると思う。(双葉社

坂元ひろ子『中国近代の思想文化史』

坂元ひろ子『中国近代の思想文化史』

力作である。19世紀清朝末から。中華人民共和国の成立、文化大革命から天安門事件まで視野が届いている。登場する知識人は、康有為、孫文梁啓超毛沢東胡適など30人以上におよぶ。
 儒教的世界観や仏教、道教など伝統的知識が、西洋の思想に出会ったとき、どう格闘し新思想をつくつていくかは、日本でも明治期にみられる。だが日中では違う。そこには「中国意識」の形成という問題がある。
 確かに初期には日本の「和魂洋才」に匹敵する「中体西用」という折衷も見られた。伝統の創造という儒学更新が、康有為や譚嗣同などの思想にみられる。列強の進出で厳復たちによる進化論が強まる。私は中国近代に社会進化論が日本より強く影響を与えているのを、坂元氏の本で知った。それが中国民族論につながり、生き残るための他民族を含む費孝通の1980年代の「多元一体民族論」にまでつながる。
開明専制から、立憲志向は、欧化主義の梁啓超から、胡適そして儲安平まである。だが、老荘思想によるアナーキズム、中国的無政府主義も強く、作家・巴金などもみられるのが面白い。それは、郷村の共同主義になり、私見だと毛沢東人民公社や、文革につながっていくのではないか。
 日本と違い(武者小路実篤の「新しい村」はあったが)、中国近代思想には「労工神聖」とか、汎労働コミューンや「大同思想」のような平等主義が強い。毛沢東の「知識人の労農化」という考えは、整風運動から文革にまで貫徹している。それがソ連的重工業化やテクノクラート主義に反旗を翻した中ソ対立の根底にある。
 坂元氏は漢字の、簡体化、ビンイン、普通話など文字改革にふれているが、これこそ中国近代の文化革命だと思う。コンピュータに対応できるようになる先見性があった。もう一つは女性解放だが、纏足廃止など重要な点があるが、私にはあまりよくわからなかった。武田泰淳の小説に、秋謹を扱った面白い小説がある。
 文革から改革開放の思想は、費孝通の中華民族ナショナリズムにつながっており、孔子名誉回復など「新国学」も目が話せない。(岩波新書

『牧野富太郎』

牧野富太郎―なぜ花は匂うか』

私が「近代奇人伝」を書くとしたら、牧野と南方熊楠は欠かせないだろう。「牧野日本植物図鑑」には、自ら収集した植物約40万枚が収められている。水中の食虫植物・ムジナモの発見者である。この本にも「世界的稀品ムジナモを日本で発見す」という一文が収められている。偶然、南葛飾の用水路で採取したのが、世界的発見というのも面白い。
牧野は、この本でも書いているが、「私にとって植物は愛人であり、心中してもいい」という惚れようである。植物の大オタクといってもいい。私生活では13人も子供を作り。妻は50代で死んでしまう。貧乏暮らしの生活、小学校しか出ずに、東大の植物教室に頻繁に出入りしたが、学歴がないため、大学に就職できなかった。博士号はとったが。
このアンソロジーには、ツバキ、サザンカカキツバタ、蓮、スミレカラアケビイチョウ、ススキ、さらに野外の雑草まで描かれている。いずれも牧野の愛情が溢れている。
博物学だから、詳しい形態や受粉、構造などが詳しく書かれている。だが、エコロジーの視点や、遺伝子的見方は避けられている。植物の挿絵など、細密画のようにえがかれており、芸術的である。
私は浅見で、バナナは皮をたべているとか、蜜柑は毛をたべているというのを、初めて知った。(平凡社

         
    

ウェルズ『解放された世界』

H・Gウェルズ『解放された世界』

2016年5月27日のオバマ大統領の「核なき世界」演説を聴き、私はウェルズ『解放された世界』を思い出し再読した。ウェルズといえば、「宇宙戦争」「タイムマシン」「モロー博士の島」などSF作家として有名だが、100年前の1914年に刊行されたこの思想小説がオバマ演説の底流には流れている。
1914年といえば第一次世界大戦が始まった年である。まだ原爆という核兵器も作られていないのに、ウェルズは、原爆を製造する科学者からこの小説を始めている。広島・長崎の原爆投下の40年前に、核戦争がおこり、パリ、ロンドン、ベルリンに原爆が投下され、廃墟になる。ただし被爆者の描写は弱い。経験がなかったからだろう。
ウェルズの予見性も凄いが、この小説の核心は、核戦争後の人類の目覚めであり、核なき世界・戦争廃絶の世界を、いかに生き残ったエリートが建設していくかにある。国際連合の構想もそれが出来る前にウェルズにはあり、後の国連が国家主権の連合になったことを批判している。 
ウェルズの小説では、国家主権を廃止し、『人権世界共和国』を造ることにあった。そのため北朝鮮のような核兵器を最後まで手放さない国家に対していかに取り組むかも書かれている。オバマ演説でも、広島・長崎は人類が「道徳的に目覚める始まり」と述べていたが、ウェルズも核戦争により、これまでの物質的進歩や暴力の使用が、前歴史的・古代史になったかが述べられている。
ウェルズの世界共和国は世界人権宣言に則った「世界憲法」からなる。国連が1948年「国連世界人権宣言」を出す34年前に、この小説では書かれている。
ウェルズは科学に楽観的であり、科学者共同委員会が世界政府の核心になるべきだとしている。まず国連で、核兵器を登録し、ついで国際管理を世界共和国で行う必要がある。
核なき世界・解放された世界の、今後の指針が詰まっている20世紀の名著の一つだろう。
訳者の浜野輝氏によると、このウェルズの小説の精神は、戦後日本の憲法前文や、第九条に影響を与えているという。
ウェルズの思想小説、ユートピア小説は、私たちにも大きな影響を与えたことになる、ウェルズは1946年に自分の預言通り、広島、長崎の原爆投下を見て死んだ。(岩浪文庫、浜野輝訳)
         
      

          

大場祐一『恐竜はホタルを見たか』

大場祐一『恐竜はホタルを見たか』

発光生物といえばホタルだろう。この表題を約1億年前の白亜紀に恐竜と原初哺乳類がホタルの光をみていたと、発光生物学の大場氏はいう。ホタルは原初哺乳類の好物だが、苦味の不味物質と毒物質をもち、光ることで警告して生き延びてきた。
大場氏によると、ムカデやカタツムリなど多数の発光動物が地球に存在し、特に水深200m以上の深海に多い。隠れる場所のない浮遊生物は海面からの太陽光で、自分の影が映し出され。捕食者に狙われやすい。腹側を青色に光らせ、シルエットを隠す「カウンターイルミネーション」で生き残る。
ノーベル賞受賞の下村脩博士はクラデの発光に、「発光タンパク質」を見っけた。意外に発光の仕組みはわからない部分が多い。大場氏の独創は、「自力発光」と「共生発光」があるといい、他生物から発光原料のルシフェリンをもらい、発光する「半自力発光」を重視していることだ。
オキアミが発光性の渦鞭毛藻をもらい、ウミボタル類からモライ、コペポーダから食べられて「セレンテラジン」を貰う。発光バクテリアは様々な魚と共生関係を結び、発光能力を与えたと大場氏はいう。
発光バクテリと発光コペバークの進化が、発光二大発明だという。進化史上の要因がある。何故光るのか。ホタルのように雄雌の求婚や、敵の威嚇、餌を引き付けるなどさまざまであろう。暗闇の地球に誰が始めて光をつけたかを、進化論や遺伝子分析で解明していく面白い本である。(岩波科学ライブラリー)

          

金子民雄『ルバイヤートの謎』

金子民雄ルバイヤートの謎』

            11世紀ペルシアのオマル・ハイヤームの四行詩集『ルバイヤート』は、快楽主語と無常・諦観が混合した傑作詩である。
            
            「わが宗旨はうんと酒を飲んで愉しむこと、わが信条は正信と邪教の争いをはなれること。久遠の花嫁に欲しい形見は何かときいたら、答えて言ったたよー君の心のよろこびをと」
          「わが背骨は時の重みに撓み、わが勤めは、全く不首尾に終わった。人生は死出の旅につくばかり。そこで言ったよ、おれはいくまいと。すると答えに、家が潰れかかっているというのに、一体どうしようというのだい。」(岩浪文庫、小川亮作訳)
          アジア史学者の金子氏はこの本に魅せられてハイヤームの故郷イランのニシャプールを何回も訪ね、ほとんど知られていない詩人像を明らかにしようとしている。11世紀セルジュク朝に征服され、イスラム教も強くなった。ハイヤームは宮廷につかえた数学者・天文学者で、三次元方程式を定立したり、天文暦をつくったという。
          イスラム教が入り、ギリシャの学問を取り入れた最盛期を過ぎ、トルコやモンゴルの征服で崩壊する最後の残光がハイヤームにある。イスラム教は異民族のアラブ人の宗教であり、訳者・小川氏は、「唯物主義無神思想家」ときめつけているが、私はギリシア的思想家だと思う。かれの無常観はそこにある。
         金子氏の本が面白いのは、「ルバイヤート」という一冊の本の運命を丹念に追っていることだ。19世紀英国の詩人フィッツジェラルドが発見し、英訳したことから始まる。近代の西欧のオリエンタリズムの所産なのだ。
         不穏な時代に広がった四行詩だから、真正草稿の発見は困難をきわめた。現代ペルシア作家による真正ルバイヤートの発見と、贋作だったという歴史も面白い。多くのハイヤームでない作者の四行詩もふくまれていることも、わかってきた。真作といわれたケンブリッジ版も贋作とわかる。
         「孔雀のルバイヤート」といわれる20世紀に作られた表紙の孔雀を、ルビー、トルコ石、トパーズで飾られた豪華本は、タイタニック号につまれ沈んだという。復刻版はロンドンの銀行の金庫に預けられたが、第二次大戦の空襲で焼かれた。再復刻版は、日本のコレクターが入手したと金子氏はいう。
         金子氏は故郷ニシャプールの訪問は、廃墟になっていた。ソ連(ロシア)、トルクメニスタン、イラン、アフガニスタンの境にに存在するから、たびたびの侵略・戦争を経験してきた。ハイヤームが生きていたら、無常観や諦観を強め、厭世感は正しかったという。(集英社新書