坂口謹一郎『日本の酒』

坂口謹一郎『日本の酒』
      「験なき物を思はずは一つきの濁れる酒飲むべくあるらし」(大伴旅人
      日本酒をめぐって、古代から現代までの社会史や文化史を描き、さらに専門の醸造学・微生物学・生化学など科学の目で、日本酒を分析する「横断的な」な名著である。
      坂口氏は、日本酒は日本が古代から育て上げてきた一大芸術的創作だという。酒にはその民族の独自性があり、前近代には中国酒との違い、近代では洋酒との違いという比較文化史にもなっている。
     日本の酒を「民族の酒」「朝廷の酒」「酒屋の酒」とその歴史を述べていくのも面白い。だが、後半の日本酒の製造や、その微生物学による日本酒の解明は、特に面白い。
     「かぐわしき香り流れる酒庫のうち静かに湧けりこれのもろみは」は、坂口博士の歌である。機械化される前の「杜氏」による酒造りの詳細を、先人の科学性として描いている。様々な発見が蒸し米、麹、もろみなどのプロセスから生まれてくると書かれている。
     麹と麹菌を究明した「カビの力」は、いまの微生物学により明らかにし、日本の科学の先見性に注目している。明治時代に麹の日本酒醸造法を応用した高峯譲吉博士のウイスキー醸造が、麦芽使用の業者の妨害でダメになったが、ジアスターゼ発明に繋がったという。もし妨害なければ、アメリカのウイスキーは、日本の焼酎の製法になっていた。
    カビの凄さは、ペニシリン発見に見られるが、日本のカビの大群である麹菌研究が、どのように西欧の麦芽研究にまさっていたかが説かれている。日本麹の独創性が、中国麹との違いを産み、それが紹興酒や老酒との相違になる。種麹に灰を使うという発見も凄い
醸造酒なのに、蒸留酒なみのアルコール度数をもつ日本酒の不思議も。解明されている。坂口博士は、麹の糖化と酵母の発酵とが、同じタンクの中で同時におこなわれる日本酒の特異な技術にあるという。
日本酒論は、日本文化論である。(岩波文庫小泉武夫解説)