小池昌代編著『恋愛詩集』

小池昌代編著『恋愛詩集』

フランスの小説家スタンダールは、『恋愛論』(岩波文庫、杉本圭子訳)で、恋愛は統制のきかない「病」であり「狂気」であるといった。確かにスタンダールのいう「情熱恋愛」はそうだろう。「幻想」として、ザルツブルグの鉱山に枯れ枝を置くと、きらきらと雪の結晶になるようなものだと述べている。
詩人・小池氏も恋する人は狂気の人で、尋常な状態でないという。だが、日本では古今和歌集などの恋歌は、恋の移ろいや、自然への恋も含む広いものだ。小池氏も人が人を思うエネルギーは時空を超えて、万物全てに及んでいくという。あの石の破片は恋のかけらかもしれないし、色づく葉っぱも恋している。このアンソロジーも情熱恋愛だけでなく、「汎恋愛論」で選ばれている。
古今東西の38人の詩が集められて小池色が濃厚だ。私も初めて読む詩も多い。茨木のり子「夢」は、最愛の夫が49日にやってきて。わたしの肉体に刻印を刻む。新婚の日より焦らずに「おだやかに 執拗に わたしの全身を浸してくる」恋歌が挽歌になる。
伊藤比呂美「とてもたのしいこと」も、セックスを歌うが、そこには「すき」という本質が見えてくる詩だ。シャロン・オールズ「娘に」は、母が娘に語る初めての性行為を歌っていて良い。「やがてその夜は来る」からはじまり、「水のように細く 股間の 繊細の糸は、ほころびた縫い目のようにカールする。お前の体の中心がぱっくり開く。」
天野忠「好日」も感動する詩だ。老夫婦公園裏の散歩から始まり、何気ない日々が歌われる。最後の詩「おじいさんと おばあさんが 一つの蒲団の中で死んでいる。部屋をキチンと片づけて 葬式代を入れた封筒に「済みません」と書いて」。
谷川俊太郎「蛇」は、恋人・夫婦の愛の苦悩を歌う。おたがいのしっぽを呑み込み輪になった蛇「輪の中に何を閉じこめたかの知らぬまま」。愛の過剰さの苦しみが描かれている。中原中也「時こそ今は」恋人泰子が他の男のところに行く。「いかに泰子、今こそはしずかに一緒に、をりませう。遠くの空を、飛ぶ鳥もいたいけな情け、みちています」
詩人略歴と、小池氏の簡単な感想がある。小池氏の「通勤電車で読む詩集」の続編だという。(NHK出版新書)