幸田露伴『運命』

 幸田露伴を読む(3)
   『運命』

   最近モンゴル史家・杉山正明氏の『露伴の「運命」とその彼方』(平凡社、2015年刊)を読んだ。杉山氏は、露伴「運命」を激賞し、15世紀初頭の明・永楽帝イスラム圏に帝国を築いたティムール帝の激突までを視野に入れた世界史的な小説と述べている。
   この小説は、中国・明の太祖の孫・建文帝に対し、叔父の燕王(のち永楽帝)が反乱して王位を奪う戦闘を中心に描いた叙事詩といっていい。だが、その時空間の広さと、朗々たる和漢混合文体は、日本近代文学に類をみない。戦後の司馬遼太郎『韃靼録』よりも雄大だと思う。文体は森鴎外阿部一族』に匹敵する名文である。
   「世おのずから数(運命のこと)というふもの有りや。有りといえば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり」から始まる。評論家・中野好夫は、露伴の史観は、唯物史観でも、唯心史観でもなく、露伴の東洋流思想による独特の史観だと述べていた。
   私は読んでみて、人智を超えた複雑系の関連による運命史観ではあるが、二元論ではなく、マンダラのように人々が輪になって連なっていく「連環史観」といっていいのではないかと思った。単なる終末史観や興亡史観でもない。
   少年で祖父から帝位を譲られた建文帝は、性格温和だが優柔不断であるが、帝位を奪う永楽帝は武人としても優れ、4年かけ苦難の戦いで勝つ。建文帝のブレーン儒者・方孝儒が従わないと、一族全員を処刑する残酷さもある。だが、滅ぼされた建文帝は脱出し、雲南に僧として逃れ天命を全うするが、永楽帝はティムール帝の侵略に備え、モンゴルで戦ううち不慮の死を遂げる。
   周りの人物もうまく書けている。永楽帝のブレーンの快僧や、儒者なども見事に活写されている。人智を超えた「天命」は、因果応報も超えている。どちらが「正義」かという価値判断も超えている。「平家物語」のような無常観イデオロギーからも超越している。
難しい漢文が続くが、気にせずに読み下していくとリズムがあって楽しい。(『運命・幽情記』講談社文芸文庫、『幸田露伴 樋口一葉集』筑摩書房現代文学大系3」)