幸田露伴『五重塔』

幸田露伴を読む(2)
五重塔

  露伴の傑作である。デーモンに憑かれた職人=芸術家が、困難にめげず五重塔を建設し、台風の暴風にもビクともしなかったという「芸」による創造物語とも読める。『風流仏』や『一口剣』の露伴作品の延長上に見る。だが、はたしてそうだろうか。
   私は、江戸幕府崩壊と明治資本主義の境界線上の時代の葛藤を描いた思想小説と読む。露伴は下級幕臣の子であり、明治維新を経験し没落している。江戸期の職人を代表しているのが、川越の源太であり、明治近代化を体現しているのは「のっそり」大工十兵衛である。源太は、江戸期の「いき」の美意識と、義理人情の倫理に生きる。
  源太の人物像を露伴は生き生きと描き出す。その度量の大きさは、江戸期倫理が生み出した職人エートスだろう。これに対し十兵衛は、渡り者であり無骨さと愚かさを持ち、腕はあるが美意識は弱い。だがひとたびデーモンに憑かれれば、五重塔建設に邁進する。源太が本堂を建てるのに、十兵衛は超高層タワーという建設一本に賭ける近代ゼネコンの原型であり、明治維新薩長の近代化建設の藩閥テクノクラートだろう。
  谷中・感応寺の入札競争の描写が半分以上を占めており、近代資本主義的競争社会の出現を暗示している。最後は上人(明治天皇か)の決定で十兵衛に施工が決まる。露伴の名文が、源太や女房お吉、弟子清吉になると俄然生き生きとしてくるのを感じた。源太は入札競争には敗れるが、最後まで十兵衛を擁護し、弟子清吉の暴力沙汰にもきちんと謝罪をする。源太が勝海舟のようにさえ感じ、十兵衛は西郷隆盛のように見えてしまう。
  最後に落成式で上人が、両人を立てるのも、明治維新的である。露伴の求心的文体は凄い。とくに最後の暴雨風のシーンに、塔の頂上に立つ描写は有名だが、私は、各人の長調子のセリフが、歌舞伎や落語の談話体の口調なのに感動した。露伴は、永井荷風の先駆者であり、反近代の東洋主義が荷風より濃いと思う。(岩波文庫