頼住光子『正法眼蔵入門』

頼住光子『正法眼蔵入門』

 「自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとるなり」
 「花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」
加藤周一によると、『正法眼蔵』の文章は13世紀日本語散文の傑作だという。(「日本文学史序説」平凡社
丸山眞男は、道元思想について①信仰の純粋化②世俗価値の転倒③権力への依存の拒否、宗教の王法からの独立・宗教の自立のダイナミズムによる「座禅」の実践をあげている。(『丸山眞男講義録・第四冊、東京大学出版会』)
    頼住氏は、日本倫理思想史が専門だから、哲学的に道元を読んでいる。難しい道元思想が、この本を読むとよくわかる。「入門」というが、理解は深い。
近年では西洋思想と道元思想の類似性に視点が合わされている。ハイデッカー、デリダなとの比較は、田辺元井筒俊彦、森本和夫、寺田透。井上克人氏らによって、深められている。現象学存在論と相性がいいのかもしれない。
   『正法眼蔵』は87卷もある。それを、頼住氏は、「現成公案」卷から始め、要所を的確に解読していく。そのポイントは「縁起―無自性―空」である。固定化された自我を忘れ、自己と全存在との相互相依の関係論的な一如になり、実体や主客の二元論を相対化するという。
   二元論的な分節である言葉を超え、無差別・平等・無分節の「場=力の世界」である深層に、「修行=さとり」でダイナミックに降りていく。言語の先入観を超えた「さとり」から、再び「言語」よって分節化に帰っていく。そこで意味づける自己という主体が再浮上する。この還流思想は重要だ。
「無自性」とは、固定化した自我はないことであり、道元思想は、だから「脱構築」の「永遠の今」の思想になる。
   さらに頼住氏は、道元の時間論や、山河など自然論、仏性論まで論じていく。『正法眼蔵』を読む前に、ぜひ頼住氏の本を読んでおくと、理解が進むと思う。(角川ソフィア文庫