紀貫之『土佐日記』

紀貫之土佐日記

   平安朝のこの日記は、紀行・日記文学として有名である。読んでみて、本当に紀行日記なのか疑問に思った。タブッキ『インド夜想曲』のように、精緻な虚構のうえに、人工的・遊戯的に創作された幻想文学ではないかと思った。紀行に必要な新しい風景の発見もない。和歌と散文による「屏風絵」の世界を描いたもので、海賊(追いかけられる妄想はある)も、土佐で死んだ我が子も虚構であろう。「もどき」の世界だ。
   この日記は、男が女装して女になって書くという虚構性・両義性から成り立っている。倒錯文学だ。貫之は3人の分身として登場する。
   漢文学と和歌の対極性から、土佐(死)と都(生)、貴族と船乗りの対比、空・海の自然性も和歌の人工性に吸収され、ダジャレの言葉遊びやユーモアなどが溢れている。リアルなものはない。土佐は古代に流刑地だった。紀貫之が60歳ごろ土佐守だったとすると、流人意識があっただろう。『新・日本古典文学体系』の「土佐日記」の解説で、国文学者・長谷川政春氏はこういう。
   「おかしみとことば遊びの表現の奥に仄見してやまないものは、都びと意識や流人意識、また死・老いへの感慨である。さらに付け加えれば、氏族意識であった」。
   なぜ帰京の船旅なのか。なぜ航海55日というが、港で風雨を避け待機するのが半分もあるのか。なぜ贈与交換が盛んに描かれるのか。藤原純友の時代なのに、なぜ海賊は襲ってこないのか。なぜ船中で、童や淡路の老婆が和歌を作り、貫之は偏狭な歌詠みとして登場するのか。帰京すると家は荒れ、人の心もあれているのか。謎が鏤められている。
   強欲な舟の船長(楫取)は文盲だろうが、この日記では、黒白の対語を使い、号令が31文字の和歌になっているのも面白い。海が荒れ、住吉神社の神に鏡を投げ込むようこの楫取はいうが、西山秀人氏は楫取が、鏡の奉納を代行して、くすね着服したという。(角川文庫『土佐日記』)
  民衆的エロスもある。押鮎を頭から食べるのを、キスするといい(「口をのみぞ吸う」)、室津港で水浴びするのを、男性性器の象徴を「ほや」、女性性器を貽貝やアワビで示し「心にもあらぬ脛にあげて見せける」と書く。
  私は土佐の国で亡くした愛児への悲しみの挽歌は、貫之が土佐赴任中亡くなった醍醐天皇藤原兼輔を象徴していると思う。「古今和歌集」を作らせ、さらに後選和歌集を作ろうとしていたのだから。帰京してみたら、自宅は荒れていたのだ。敗北の文学だ。(『土佐日記』(西山秀人編、角川文庫、『新日本古典文学大系 土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記岩波書店)