ブルガンら『遺伝子の帝国』

ブルガンとダルリュー『遺伝子の帝国』

    ハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーが、遺伝子検査で乳がんの陽性診断がでたというので、予防で健康な乳房を切除した。遺伝子診断は、個人の指紋になり、祖先の出身地域、行動、様式、健康状態、生殖前診断、子供の性別選択と、いまや商業化され、遺伝子検査サービスがネットでも行われている。この本は遺伝子(DNA)応用の現状に危機感をもち、遺伝還元主義を批判している。
    まずDNA指紋として警察捜査や司法という公的な利用について、ブルガン氏は犯人特定の有効性を認めつつも、生物学的サンプルの品質の汚染や分析・入力ミス、データベースの不備などで完全ではないという。さらにデータベースを拡大し、国家が長く保存ずれば、プライバシーや個人のあらゆる情報を、国家が握る「遺伝子管理国家」の危険を指摘している。
    DNAを利用すれば、個人の人体形態、年齢、知能指数、行動様式、健康状態の情報がえられる。さらに、民族集団や定義されたヒト集団、出身地域、祖先の系図までもある程度決定出来る。ブルガン氏は、偽科学の血液型診断の幻想が、遺伝子に変わる恐れも指摘している。遺伝子で民族や人種のアイデンティティを確定するための、様々なプロジェクトをこの本で紹介している。移民問題も絡む。こうした生物学的民族主義への帰属は危険である。
    医学における出世前診断、着床前診断などは、「生殖は欠点のない子供の製造」というデザイナーベビーの道の第一歩かもしれないという。著者は優生学から遺伝学への道という見方をしている。遺伝的に相いれないカップルは結婚出来なくなる。
    私はこの本で、生殖前遺伝子診断が最も発達しているのは、イスラエルだと知った。劣性遺伝病が対象になり、費用は健康保険であがなわれるという。いまや遺伝子の特許権は厖大な利益を産み、乳がんの遺伝子特許をもつアメリカのミリアッド・ジェネティクス社は、2009年に3億3000万ドルの売り上げだった。
    ブルガン氏とダルリュー氏は、遺伝子は「生きている分子」であり、変化し、循環し、環境と大きな相互作用をするという。プラトン的な本質主義でなく、環境、文化、社会との関わりで変化する。病気も遺伝子だけでなく、社会環境、自然環境の関わりから生じるものも多い。データ管理の安全性とともに、「DNA化する社会」は、共同体を破壊し、個人利益が優先され、連帯感は根底から覆されると危惧している。(中央公論新社、坪子理美、林昌宏訳)