張競『中華料理の文化史』

張競『中華料理の文化史』


   この本を読むと、中華料理の多民族性、雑食性、多様性、歴史的変化の激しさに驚かされる。北京ダックも、春巻きも百年ぐらいの歴史しかないし、フカヒレも清代以降というから二百年もたたない新しさだ。
   張競氏によると、日本料理との違いは、日本では魚を除いて動物の形を残さないが中国では、豚の丸焼き始め原形を残す。もうひとつは、家畜の頭、足、内臓、血など内臓料理が盛んだが、日本では料理として少ないという。祭祀の違いをあげているが、北方遊牧民族の「生贄」の影響もあると思う。神に「献じる」の「献」は、古代からの犬肉喰いの食習慣から「犬」を捧げて、神人共食から来たという。
   2500年前の古代中国で孔子の食べた料理は面白い。豚と犬は食べていたという。アワ、キビ、イネ、麦。豆があるが、アワ、キビ、米は高級食品で、豆は下層階級の主食だった。魚はほとんど食べず、文献にはスッポンぐらいしか出てこない。紀元前2世紀の漢代の馬王堆古墳では、多くの肉食品が副葬されていた。
   中華料理は西域や北方遊牧民族の影響が多きい。小麦粉の粉食のパンは「胡餅」は魏晋・六朝時代に伝わり、羊肉のむらしやきなど牛、羊の肉食が盛んになる。隋唐時代に犬肉が廃れたのは、北方遊牧民が犬好きからで、そこからペットになっていったといのが張競氏の見方である。香辛料もシルクロードを通って入ってきた。「胡椒」と西域の「胡」がつく。羊肉と豚肉も宋代に、豚肉が嫌われたのも、元などモンゴル族の影響という。
   私が面白かったのは、箸が日本では横に置き、中国では縦に置くのは何故かの解明である。中国でも漢・唐時代までは横向きだったのが、遊牧民族の肉食により肉をナイフで切るためナイフを縦に置いた影響という。
   「紅楼夢」という清代の小説は、上流階級の美食が数多くでてくるが、ツバメの巣はあるが、フカヒレは出てこない。張競氏は、康熙帝乾隆帝という満州族は内陸で海産物は嫌いだったためで、好んで食べたのは清末の光緒帝や、ラストエンペラー溥儀など清末の料理だと推測している。唐辛子も新しく明末からだし、豆腐は葬儀料理であまり食べなかったなど面白い指摘が、この本には一杯詰まっている。(ちくま文庫