陣内秀信『東京の空間人類学』

陣内秀信『東京の空間人類学』

  サイデンスデッカーや磯田光一の東京論が、下町に中心が置かれ文化史的考察だったが、陣内氏のこの本は建築学者らしく、「水の辺」と「山の辺」という複眼的見方で自然空間を基に、江戸期以来の伝統・歴史の連続性を考えようとしている。と同時に大正・昭和初期のモダニズムの都市造形が二重映しになっている。水の都から陸の都へ、そして現代のウォーターフロントの都市再開発への循環の流れも抑えている。
   「山の手の表層と深層」は面白い。山の手は「台地」と「谷地」が交錯する複合的地形からなり「坂」も多く、「屋根系」と「谷系」に江戸期から街造りが行われてきたと、上野台地、目白台地、牛込台地、溜池谷などを江戸との連続性で分析している。台地には大名屋敷、旗本屋敷、組屋敷が出来、谷地には町人がすむが、陣内氏は「敷地」ということを重要視している。大名屋敷が並ぶ田園都市は、非都市的な「屋敷を構える」考えが強く長屋門で囲い、巨大な門、庭、シンメトリーな屋敷だった、明治維新以後、それは官公庁、軍事施設、東京大学や慶応大学などの大学、迎賓館など皇族・華族住宅、外国大使館になる。
   また新宿御苑、有栖川公園、清水谷公園などの公園になる。陣内氏は「敷地」単位を崩すことなく、内部で完結したため、西欧都市のような全体の大改造はなく、モザイク的集合の都市になったという。いまやその敷地も分割され高層マンションになっている。
   谷間の町人地は、本郷菊坂や麻布十番町のように、裏長屋に分割され、「路地」が庶民の生活場だった。私が面白かったのは、東京の公共建築が、大名の「屋敷構え」の伝統を引き継ぎ閉ざされたモザイク状に成っているという指摘である。西欧都市が「広場社会」であるのにたいして、東京は「横丁・路地社会」だといい、現代でも、原宿竹下通りやアケード商店街、さらに迷路的な地下街などを挙げているのも面白かった。西欧都市の広場の欠如が東京でいわれるが、江戸期以来川の橋詰め広場の伝統を指摘し、明治以来は交差点や駅前など「交通広場」に陣内氏は注目している。とすれば渋谷のスクランブル交差点は東京の注目すべき広場なのだ。
  隅田川や運河による「水の都のコスモロジー」も面白い。いま水の都への復帰も東京で言われているが、江戸期からの自然・歴史景観の伝統は、重要だと思う。東京の都市空間は「鎮守の森、水や緑に接する名所、掘割、河原、土手といった自然に結びつく場所、あるいは町並み、路地のような生活の場、さらにまたさかり場、界隈といった」所が、都市に活力を与えるという主張には、同感である。(筑摩書房