岡田暁生『オペラの終焉』

岡田暁生『オペラの終焉』

 19世紀末から20世紀にかけてウイーンで活躍した作曲家・リヒャルト・シュトラウスのオペラ「バラの騎士」を論じながら、第一次世界大戦後オペラがいかに終焉したかを描いた力作である。20世紀音楽の、「芸術か娯楽か、前衛か古典か」の岐路を岡田氏は、音楽史の深い研究と、時代認識の鋭さで抉り出していく。
   芸術音楽が市民階級へと開放されることにより、ロマン主義的映画音楽、ミュージカル、ポップス、ジャズなど大衆社会の娯楽としての音楽と、シェーンベルグの無調前衛音楽の登場という亀裂が、20世紀音楽の始まりを特徴づける。その端境期にあったシュトラウスのオペラ「バラの騎士」は、「オペラがアクチュアルな芸術であり、同時に大衆娯楽であった幸福な時代の終わりを告げる作品」だというのが、岡田氏の位置づけである。
   岡田氏の分析によると「バラの騎士」は、ワグナーの楽劇や不協和音の多用などの芸術性を取り入れつつ、同時にモーツアルト的軽みの喜劇性、さらにウイーンオペラのオペレッタ的娯楽性、映画音楽のような甘い調性のロマン的夢の美しい音楽を織りまぜた異種混淆で、ハイブリットな大衆受けするオペラだとしている。この作品が「ポストモダン」的といわれないのは、シュトラウスのは、伝統文化を異化して使うのでなく、同化して「華美で人工的なオーケストラ」で上塗りしているからだ。
  シュトラウスが、20世紀音楽についていけなかった点についての分析が、私には面白かった。創作文化から解釈文化に転換した時、シュトラウスには過去への過剰な畏敬の念が強く同化性があったが、ストラビンスキーには過去と断絶した傲岸不遜な異化性があり、原典本来の意図にはお構えなしで引用していく。岡田氏は、過去の作品を異化して引用していくピカソコクトーを引き合いに出している。それによって、過去の血縁関係から断絶した作品の解釈が、創造にまで高められていく。さらに20世紀クラシック音楽ヒンデミットなどに見られる「情感に満ちたロマン主義」との決別、カンダービレの否定、有機的でなく機械のような無機的音も、シュトラウスには無縁だった。
  岡田氏はいう。文化の大衆化は伝統的西欧の芸術概念を根底から崩し、「歴史の喪失」が生じた。大衆文化は歴史を持たず「今」が永遠に続く。哲学者・アドルノは大衆音楽を「常緑樹」と呼び、いつも葉が落ちない「今」の「流行」の連続に例えたという。
  岡田氏の本はオペラを論じているが、私は現代文化論として深い考察に満ちていると思った。(ちくま学芸文庫