塩野七生『キリストの勝利』

塩野七生『キリストの勝利』(「ローマ人の物語14巻目」)
 ローマ帝国の4世紀のコンスタンティヌス大帝死後から、テオドシウス大帝の死までの歴史を描く。この巻ではキリスト教が国教になりいかに勝利していったかに焦点が当てられている。「背教者」といわれるギリシア哲学の徒である皇帝ユリアノスと、その死後にキリスト教国教化と異教・異端排斥を行うミラノ司教・聖アンブロシウスの両者の相反する歴史の相克が描かれていて面白い。コンスタンティヌス大帝死後の息子や親族への大粛清はすごい。偶然生き残った大帝の異母弟(粛清された)の2兄弟(兄も後に処刑)の弟ユリアヌスは、6歳で孤児になり、14年にわたり幽閉生活をおくり、兄の処刑のため24歳で血縁者がいなくなり副帝になる。ガリア戦線で勝利し、大帝の長男の死により、29歳で皇帝になり、ペルシヤ戦争中に腹に槍を受け、31歳で戦死(謀略死のの説もある)という数奇な人生だった。辻邦生に小説「背教者ユリアヌス」(中公文庫)という小説がある。
 大帝はキリスト教を公認したが、ユリアヌスは幽閉時代にプラトンなどギリシア哲学に心酔し、キリスト教優遇政策を全廃し、ローマ伝統の多神教に回帰しようとした。「信教の自由」をとなえ、破壊されたユダヤ教神殿の再興も命じている。塩野氏は「背教者」という侮蔑語は、ユリアヌスが洗礼を受けたキリスト教徒でもなく、ローマ多神教も当時は邪教視されていなかったから、当たらないとしている。そう呼ばれるのはキリスト教側から、親キリスト教の大帝の血縁者で皇帝になれたのに、反キリスト教政策をした「裏切り者」と見られたかだと述べている。でも父や兄を殺されたユリアノスから見れば、親キリスト教の大帝側に不信感を持つのは当然である。ユリアヌスは、多文化主義と共に、他方では「小さな政府」を目指し、行政官僚や皇居の宦官のリストラを断行したため、反感をかったとも指摘している。もし護衛隊の謀殺説が正しいなら、背後にはそうした勢力があったのかもしれない。
 死後に皇帝テオドシウス時代に親キリスト教路線が復活し、キリスト教国教化になるが、その背後に家康の背後の天海のように、司教・聖アンブロシウスがおり、日本の明治維新期の「廃仏毀釈」のように異端異教は排斥される。ローマ神殿は破壊され、ユダヤ教会も襲撃され、アポロ像など神々の彫刻は切り刻まれ、川に沈められた。オリンピックも廃止され「ギリシア・ローマ文明の終焉」となる。ローマ皇帝さえミラノ司教に「公式改悛」を行うほど支配される。塩野氏は中世の「カノッサの恥辱」は、700年前からはじまっていたという。ユリアヌスの信教の自由の多神教の「寛容」は一神教の前に滅び、ローマ帝国は滅亡のまえに「溶解」していったというのが、塩野氏の見解である。(新潮文庫、「キリストの勝利」上、中、下巻)