塩野七生『ローマ世界の終焉』

塩野七生『ローマ世界の終焉』(「ローマ人の物語15巻目」)
 塩野氏の「ローマ人の物語」は、ローマ帝国の誕生から死までの長大な歴史物語である。それを最後の巻から読むのは邪道あろう。だが私はその衰亡史に興味があるので、最終巻から読み始めた。この巻は、4世紀末から6世紀半ばまで終焉期を描いている。ホノリウス帝時代の「半蛮族」出身の軍総司令官で「最後のローマ人」ともいわれたスティリコから、東ローマ皇帝ユスティニアスの死まで扱っている。塩野氏の書き方はローマ帝国が「なぜ」滅びたかを論ぜずに「「どのように」衰亡していったかを史料を丹念に辿り、描き出そうとしていて読み物としても面白い。
 多くの人物が出てくる。塩野氏の本では戦闘場面が多い。だからその戦役の攻防などを司るローマ軍司令官スティリコやアッティラと戦ったアエティウス、ローマを取り戻そうとした東ローマ帝国総軍司令官ベリサリウスなどが詳しく書かれている。またローマを征服・支配する異民族ではアラリック、アッティラオドアケルテオドリックなども公平な視点で描かれている。私が興味深かったのは、この転換期に生きた神学者・聖アウグスティノスや、修道院を再生したベネディクトウス、「哲学による慰め」を書き斬首刑になったポエティウスなどの人物が散りばめられていることだ。「告白」や「神の国」を書いた聖アウグスティノスが、北アフリカで「異端」排除の闘士だったことも指摘されている。
 私がこの本を読んで思ったことを列挙してみよう。多民族国家になったローマ帝国は、軍司令官も異民族出身者が多く、軍団兵も異民族か、同盟民族の人々の構成が増えている。ローマ帝国支配層は分割統治や、異民族の活用が盛んになり傭兵化が目立つ。支配層は4世紀には市民第一人者の「元首」から、キリスト教の王権神授のような神の意に呈する「説対君主」に変貌し無能でも長期君臨し、宮廷内は皇帝の姉妹や母が権力を操作し、官僚や宦官の嫉妬で腐敗する。地方の過疎化と都市の過密化が進み、自営農民が「農奴」化し、大農園が増え、生産しない人々も増加し、公共心も失われる。民族排外主義や、キリスト教の「異端」排除の心性が広まる。
 476年の西ローマ帝国滅亡について、塩野氏はこう書く。「蛮族でも攻めてきて激しい攻防戦でもくり広げられた末の、壮絶な死ではない。炎上もなく、阿鼻叫喚もなく、ゆえに誰一人、それに気づいた人もなく消え失せたのである」少年皇帝が退位したあと、誰も皇帝にならなかった。「自壊」といっていい。そのあとゴート族の有力者がイタリア王を名乗り、異民族同士やローマ人との棲み分け・共生で「蛮族の平和」が東ローマ帝国が奪還にくるまで、百年近く続くというのも皮肉である。(新潮文庫、「ローマ世界の終焉」上、中、下巻)