山口香『日本柔道の論点』

山口香『日本柔道の論点』
 平成24年度から中学校で武道必修化がスタートした。武道のなかでオリンピック種目に成っているのは柔道だけである。だがロンドン五輪男子史上初の金メダル無し、金メダリストの不祥事、隠蔽された柔道事故の多さ、女子五輪代表のハラスメントなど日本柔道には問題が噴出している。山口氏の本を読み、久しぶりに胸の閊えが降りた。柔道の国際化と講道館による日本柔道の伝統との矛盾から山口氏は書き出す。これは柔道だけの問題でなく、グローバル化と日本伝統の矛盾にどう折り合いをつけていくかの問題でもある。
国際柔道連盟ビゼール会長の独裁体制が、商業主義的五輪のため柔道の真髄に触れるルール改正を行っていくことに、柔道発祥の講道館柔道の伝統をもつ日本柔道連盟は異議を唱えようともしない。足を持つ攻撃技を反則にし、肩車も反則、帯から下の柔道着を掴むのも禁止、両手で組み手を切ることも禁止、押さえ込みは10秒で有効、審判を一人にして逆にジュリーの権限強化、着物のような緩やかな柔道着もタイトなものにするなど、これは柔道なのかと思ってしまう。巻末の対談で東京五輪金メダリスト・岡野功氏が、これでは柔道とは違う格闘技になり、柔道らしい「後の先」という相手が掛けてきた技を返すという肩車や、捨て身小内刈、足持ち大内刈が全滅し「グレコローマン型柔道」になるという発言に納得する。山口氏は柔道大国日本とフランスが手を組み反対すべきだという。賛成だ。
だが2009年講道館の家元・嘉納家の世襲が終焉し、日本柔道の伝統と競技のための日本柔道連盟の会長職が上村会長に一元化された。山口氏はこの両者の分離を提案している。山口氏は嘉納治五郎の精神に帰ろうという考え方である。競技として「勝つ」ことや金メダルにこだわることに講道館柔道の本質はない。嘉納のいう「型・乱取り・講義・問答」の人間形成を重視する。柔道は、投げられても怪我しない「受け身」と、組むという身体接触による相手との共同作業によるコミュニケーション能力と思いやりだという。さらに日本ではいま「講義」と「問答」が欠けていて、それが体罰とハラスメントの多発につながると指摘している。現在の日本柔道への批判の舌法は鋭く、「女三四郎」といわれた現役時代の山口氏の柔道を見るような論調に、私は敬服した。(イースト新書)