『明石海人歌集』

村井紀編『明石海人歌集』

「人の世の涯とおもふ昼ふかき癩者の島にもの音絶えぬ」
 ハンセン病で37歳の生涯を隔離された岡山の療養所で終えた明石海人の歌は、正岡子規とともに「病者の光学」に満ちた和歌の傑作が多くある。
 「いつかもう人間ならぬ我になり花におぼろな影踏み歩く」や「まともなる息はかよはぬ明暮を命は悲し死にたくもなし」などは、私は好きだ。隔離入院中に、父や愛児が死に、自分も気管切開や失明をしていくから、悲惨度と思うかもしれないが、海人の歌にはどこか冷静に晴朗に突き放した求道の心情があり、そこからユーモアさえ感じられる。
 「眷族など来たり看護らふ者もなく臨終の際に遺すこともなし」「骨あげにしばし間あり火葬場の牡丹ざくらに蜂は群れつつ」など死を冷静に見つめ歌う。
 医学が患者を冷徹に診て、死後医学のために解剖することを病者の目で批判している。「円かなる瞳の奥に今の世の人身御供といふがひそめり」や解剖室の連作で死後解剖について「指針尖に脳の重さのふるふとき黄金の羽蟲は息絶えにけり」「脳髄の空地に針をたてながら仙人掌は今日もはびこる」などの歌は、医学者の非人間性をも歌う。明石の歌をハンセン病に対する差別への抵抗文学とみてもおかしくない。
 明石の和歌は晩年になればなるほど、感傷的リアリズムから離れて、直感に基づく透徹した深みに入っていくように思える。「墜ちてゆく穴はずんずん深くなりいつか小さい天が見えだす」「血みどろの泥に歯を剥く死のわらい蟲けらを見れば蟲けらの世も」「更くる夜の大気真白き石となり石いよよ白くしてわれを死なしむ」「息の孔潰すえむとするこの夜をことさらに冴ゆる星のそこらく」などは、芭蕉の俳句との共通性さえ感じられる。(岩波文庫)