ヒルスブルンナー『ドビュシーとその時代』

テオ・ヒルスブルンナー『ドビュシーとその時代



 フランスの19世紀末から20世紀にかけての芸術文化のなかで、作曲家ドビュシーを描いた本である。伝記でなく時代状況のなかでドビュシーを捉えようとしている。ドイツの作曲家ワグナーの影響に対しフランス的芸術をいかに創造しようとしたか。「ニーベルゲンの指輪」「トリスタン」というワグナーの楽劇に対し、ドビュシーは「ペレアスとメリザンド」というオペラを作曲する。ヒルスブルンナーはワグナーの「神々の黄昏」で効果万点の大団円で、敗北と勝利、滅亡と救済が同時におこなわれ、火と水が行動する人物たちの巻き込まれていた罪を消滅させるという。ドビュシーの「ペレアス」の第五幕では、これまでのオペラと違い、水と火は海に沈んでいく太陽が、瀕死のメリザンドの顔の上に反映するばかりで「暗示」される。この本では象徴主義詩人マラルメとドビュシーの親近性を強調している。「詩人としてのドビュシー」ではヴェルレーヌメーテルリンクの詩的言語の音楽化を、ドビュシー音楽の詩化と同調しているという。
 メーテルリンク原作の「ペレアスとメリザンド」は閉じ込められた人間たちの運命と彼らの自分自身の囚われからの解放と自由を主題としている。ドビュシーの友人ショーソンが作曲した詩集「温室」の詩「ああ 森に囲まれた 温室/お前の永遠に閉ざされた 扉たち!」は世紀末の情感を表している。ドビュシーは規則的に回帰する終止定型をもつ「四角四面」とは無縁の音楽を書く。「象徴」というものは人間が存在することに耐えられないから「目に見えぬ演劇」「沈黙の音楽」という矛盾ともいうべき自己否定の芸術を目指すとヒルスブランナーは指滴する。ドビュシーは黙って人間に語りかけてくる自然の音をとりいれる。例えば『雲』は大げさな印象を与える展開はなく、ティンパニーのすり打ちと弦の弱音で消えてしまう。マラルメは「沈黙・静けさ」が重要で物事は詩的言語で暗示されるのみである。ドビュシーの音楽は「情念の音楽」でなく、「日常生活が沈黙したときの魂の王国における共感の音楽」になる。「暗示」の技法を推し進めるとメロディでなく、美しい個々の音の魅惑てきな単音や孤立した和音それ自体が目的にとなる。それは個々の母音や綴り方を発見した詩や、色や線や光に自律的価値を与えた印象派絵画と並行しているとヒルスブルンナーは言うのである。(西村書店、吉田仙太郎訳)