三谷隆正『幸福論』

幸福論を読む(その③)
三谷隆正『幸福論』


 敗戦の前年1944年遺著として出された。三谷氏は内村鑑三の門下の無教会キリスト者である。その骨子は「動的幸福」論である。苦難の人生のなかで、戦いながら自らを新しい新生の命に創造していくことが幸福だいう。「幸福の真諦は見ることでなくて、働くことである。享楽することでなくて、創造することである。天国は終了と静止との国でなくて、さかんなる建設と溌剌たる生動の国」だという。生命の更新としての創造を幸福といい、「能動的意志的な活動体制であって、静止的観照的な享受体勢ではない」三谷氏には大正教養主義と超越的神への信仰が根底にある。
 幸福論の歴史で、三谷氏はギリシア・ローマ思想のソクラテスからエピクロスストア派の幸福論を自己内在的・主我的幸福論と批判する。この哲学は幸福の極致は純粋知的観照における理性の自給自足にあり、哲学的利己主義で自我の徳への主観的幸福の追求になり、他者を無視した克己になり、最後は外界に煩わされない「無感動」「諦念」「自殺」に行き着く。三谷氏があげるもう一つの幸福論は自己超越論(没我的幸福論)だが、それは民族や国家(文化国家にしろ社会主義国家にしろ)に内在的に自己を献身して自己を失っていくと批判する。これは三谷氏が生きた戦時下の没我的献身の幸福論に対する批判になっている。
 三谷氏の立場は、人間中心では解決できない幸福への道を、人間を超越した神の恩寵、慈悲による選びへの感謝、それによって解放された自由さを幸福としていることだ。私は三谷氏のような信仰はもたないが、この本を読み、生命の喜びを更新する回心による「新しい創造」の行動に幸福の鍵があるという主張には同感した。(岩波文庫