ラッセル『幸福論』

幸福論を読む(その②)
ラッセル『幸福論』

 
 ラッセルは不幸にさせる原因を「自我の牢獄」に閉じ込められ、自分の内に引き篭ることにあると見る。あまりにも強い自己没頭や自己否定は不幸のもとである。「自己中心的な情念を避けるとともに、絶えずわがことばかり考えるのを食い止めてくれるような愛情や興味を身につけるようにする」のがラッセルの幸福論になる。私たちを自己の殻に閉じ込める情念は、恐怖、ねたみ、罪の意識、自己へのあわれみ、および自画自賛ナルシシズムがあげられている。
 この本の前半では不幸の原因が分析され、競争、退屈と興奮、疲れ、世評にたいする怯え、罪の意識が取り上げられている。私が興味を持つたのは「ねたみ」と「被害妄想」である。ラッセルはねたみを人間の情念で根深いものと考え、その本質を他との関係、他との比較ばかりみて、その本質を事実そのものから見ないこととしている。競争や謙遜もそれと関係がある。その対策として自己の心情を拡大し、自己を超越することを勧める。被害妄想はいつも、おのれの美点をあまりにも誇大視することに原因があるという。
 被害妄想の予防策として、あなたの動機は自分がおもっているほど利他的でないし、自分の美点を過大評価せず、あなたが考えているほど他人は興味をもっていないし、迫害の意識もないと思うことだという。
後半では幸福はそれでも可能かを追求している。ラッセルのいう幸福の秘訣は、外界への興味を多様に幅広く拡大し、興味ある人や物に友好的になることである。家庭や仕事、愛情とともに「私心のない興味」を挙げているのが面白い。それは気晴らしとともに、ある一つのことにのみ集中するのではなく、好奇心による熱意が「釣り合いの感覚」をあたえるからだ。
 自分の専門的仕事のみに没頭することは狂信に通ずる。自己の殻をやぶるためには、個人の価値や偉大さに匹敵するほどの価値は広大無辺の宇宙空間にはないとおもい、心の窓を広くあけて、宇宙の四方八方から心に風が自由に吹く「宇宙感覚」を勧めるのだ。幸福な人とは、客観的生き方をし、自由な愛情と広い興味を持つ人というのが、ラッセルの主張なのだ。(岩波文庫、安藤貞雄訳)