長谷川裕子『なぜから始める現代アート』

長谷川裕子『「なぜ?」から始める現代アート



長谷川氏によれば、現代アートは歴史を経る中で分離してしまった「目」と「体」をつなぐ機能と、いろいろなメディウムと縦横無尽につながる隙間装置の役割を持つという。ホワイトキューブの美術館額縁からでたインスタレーションや、絵画、彫刻、建築、映像、メディアテクノロジーの融合による学際的な作品、大地や自然の中で構築される作品、土着的な伝統から創造されたアート、身体知を加速する空間創造など現代美術の変貌は激しい。長谷川氏は自らの心の深いところ、生の意味を問う領域に関わらせながら、「なぜ」と問いかけながら紹介していくから、とても理解しやすい。
 村上隆奈良美智草間弥生池田亮司石上純也など日本人から、エリアソン、タレル、リン、オイチシカ、ジー、蔡国強、レーベルガーなど20数人の美術家が取り上げられている。村上隆落合多武は、日本画の伝統から線画の伝統とスパーフラットからアニメまで東洋的アミニズムから見られている。草間もリンも身体から参加したい欲望から場所へ拡張する空間が論じられる。アートと科学の想像力はダレルの光を素材とし知覚を媒剤とした作品と、数学的デジタル統計を視覚化する池田の作品が紹介されている。身体性を呼び覚ます作品として、ブラジルのオイチシカやオルネスト・ネトを論じていて面白かった。アースワーク作品として蔡による万里の長城の先1万メートルに火薬を敷き爆発させる作品や、「関係性の美学」というつながりを美術作品に表現するシムリン・ギルの創造も現代アートの拡張を示している。
この本を読むと、現代美術がいかに額縁絵画から外に出て、身体による知覚に結びつき、鑑賞者も参加させていき、現代テクノロジーの想像力をも乗り越えるエネルギーに満ちた意識拡張の社会的動きを持つようになってきたかがよくわかる。長谷川氏の力量を感じた。(NHK出版新書)