シュニッツラー『花・死人に口なし』

シュニッツラー『花・死人に口なし』


 19−20世紀ウィーンの作家シュニッツラーは愛と死を描いた情緒作家だといわれる。むかし「輪舞」という映画も見た記憶がある。この短編集を読んで、短編の名手だと思った。確かにここに収められた9編の小説には「死」が色濃く覆っている。「花」では死んだ恋人から死後花が届くし、「死人に口なし」では不倫の人妻が密会中、交通事故で恋人が死に、ひそかに家に逃げ帰る。「わかれ」でも恋人の人妻が突然病気で死ぬのに男はその邸宅に忍び込み、死体にわかれを告げる。「新しい歌」では盲目の美少女が絶望で自殺するし、「レデコンダの日記」でも「情婦殺し」でも、決闘で主人公は死んでしまう。だが私は「死」がシュニッツラーの主題だとは思わない。それは人間の愛を描くための手段であって陰惨なものではない。「死」はやさしく人間を包み込む。
私はこの短編を読み主題は「不安」だと思った。実存的不安が人間存在の根源にある。「花」は死んだ恋人と新しい可愛いいオボコ娘の恋人の間に立った若者の不安が描かれ、死者からの枯れた花を新恋人が捨てることで、不安が克服されていく。「死人に口なし」で密会中恋人が死に、逃げ帰った人妻は夫にばれる不安にさいなまされるが、夫に告白することにより不安から立ち直ろうとする。「盲目のジェロニモとその兄」では兄弟間の信頼が失われた不安を、盗みまでして盲目の弟の信用を回復しようとする物語と読める。「わかれ」は人間の不安心理を微細に描いている傑作だ。
「レデコンダの日記」は不安と「夢」が深層心理で一致し、妄想が膨らみ、死にいたる若者の話だが、そこには同時代人の精神分析学者フロイトの影が見える。短編小説の醍醐味が味わえるこの短編集は、翻訳もやさしく柔らかい筆致で読みやすい。(岩波文庫、番匠谷英一・山本有三訳)