渡辺裕『文化史のなかのマーラー』

渡辺裕『文化史のなかのマーラー


19世紀末から20世紀にかけオーストリアの作曲家グスタフ・マーラーを現代的視点で文化史のなかで論じた本である。かつて柴田南雄グスタフ・マーラー』(岩波書店)を読み現代音楽の始まりという位置づけと、その背後に非西欧文化圏におよぶ文化があることを知った。渡辺氏もマーラーポストモダン的文化を見出している。マーラーボヘミア生まれのオーストリア国籍のユダヤ人で、晩年はアメリカで演奏活動をした根無し草的芸術家である。渡辺氏は若きマーラーがニーチエやワグナーの影響を受け、理性の限界を超えた新しい世界へ連れて行く芸術による社会革命を夢見たという。「第三交響曲」にニーチエの思想を見出す。世紀末ウイーンで分離派の画家クリムト精神分析の意識下の世界を開示したフロイトとの共通性を渡辺氏はあぶり出す。クリムトはベートーベン「第九」を人類愛から性愛に転換した壁画を描いた。
渡辺氏はワグナーの総合芸術の理念がマーラーにあり、文学世界と音楽世界の統合としてピアノ版「大地の歌」を分析している。マーラーといえば、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」に「第五交響曲」第4楽章アダージェットが使われ、CMでもマーラーの曲はよく使われる。マーラーが都会の喧騒や通俗的音楽(キュチュ)を多用したのは、コラージュ的組み合わせだが、そこには硬直化し平板化した高級音楽に通俗性を取り入れるポストモダン性を渡辺氏は指摘している。私が面白かったのは、「ソナタ形式」という合理的で目的に沿って時間が直線で進行する古典音楽を脱構築し、音楽の時間を停止し空間化し旋律を断絶し「音色」の輝きを出そうとしたことだ。時間の流れを断ち切り突然トランペットの音色が響き渡る「第一交響曲」からそれは見られる。音色の復権武満徹の音楽まで繋がっていると思う。(筑摩書房