プラトン『パイドロス』

プラトンパイドロス


 哲学書というよりも叙情性ある幻想文学を読む感じがする。舞台もアテナイ南部を流れるイリソス川のほとり、初夏の木々の花が咲き乱れ、木々の枝では蝉が鳴く。ソクラテスは美青年パイドロスと川の水に足を浸し対話している。その話題がエロスとイデアであり、愛智の弁論術である。私はこの対話が、恋人たちの甘美な愛の囁きに聞こえた。
恋(エロス)は神話的・幻想的に語られる。天上のイデア(眞実在)としての「美」を想起しょうと翼を羽ばたき天上に登るが落ちてしまう。だが地上の美青年を見ることにより「美」を想起する。それが打算と利己心を超克した「恋」である。この本はそこから、恋する魂の遍歴物語を宇宙的に語りだす。魂の御者は翼ある二頭の馬を駆り立て天空を駆け巡る。御者は愛智ある理性であるが、一頭の善い馬は激情的部分であり、もう一頭の悪い馬は快楽欲望の部分であり、その二頭が勝手に動き彷徨ようが、御者はなんとか綱を引きイデアのエロスを目指す。この二頭は「節制」と「放縦」とも読み替えることも出来る。
この後にソクラテスは人間の魂の中に言葉を意識に植えつける弁論術に話を発展させていく。大衆に快い「真実らしい」取り入る言葉としての弁論術(ソフィスト的)を避け、「真実そのもの」を目指す愛智の弁論術を説く。大衆社会ポピュリズム批判とも読める。だがなぜプラトンは恋から弁論術に飛躍したのか。私はプラトンにとってエロスとは、眞実在(イデア)を求める智への愛(哲学)であり、愛智とはエロス(恋)だと気づいた。智を愛する恋愛が「パイドロス」のテーマなのである。(岩波文庫・藤沢令夫訳)