プラトン『饗宴』

プラトン『饗宴』

プラトンは詩人であるとともに劇作家でもある。『饗宴』は演劇作品として均整がとれたドラマ性があり、劇中劇の枠組もあり、舞台化したら面白いだろう。喜劇として上演できる。、アリストパネスという喜劇作家も登場する。『パイドン』や『ソクラテスの弁明』が悲劇作品だとすればこの作品は喜劇である。ソクラテスはじめアルキビヤデス、アガトンパッヤニスなど登場人物もそれぞれ個性があり生き生きと描かれている。
だがテーマはプラトン思想の真髄を吐露しようとしている。プラトンソクラテスへの「愛の賛歌」が最後の結末にある。エロスとは何かが6人の登場人物により円環的に語られていく。このなかには天上的愛(憧憬的)と地上的愛(快楽的)や、調和としての愛、さらにアリストパネスの人間は原始以前に一体だったのが、反乱した罪でゼウスに半分に分割されて、恋とは人間が失われた片割れを求める行動という神話も語られる。
最後にソクラテスが語る。エロスは美と醜、善と悪、神と人の中間者であり、その間に橋をかける伝達、追求のエネルギーである。そこには、創造的生殖が産出しようという不死への目的がある。肉体的生殖は子供によって自己が連続し、精神的生殖では教育的伝達により文化が連続して生き残る。エロスは追求者としてのエネルギーなのだ。その追求は、斬新的でまず肉体の美に愛を感じ、そこから、精神的美、愛智の美と登り、最後に美のイデアに行く。有限のものから無限な絶対美(善)に行き着く。これがプラトニックラヴなのだ。だとすると同性愛が最上のエロスということにもなる。面白いのは、エロスを中間的・追求者として捉えている。メディア的エロスということになる。最後にその体現者としてのソクラテス像が、同性愛人のアリキメヂアスによって語られ、この喜劇は幕となる。プラトンは「美の喜劇」の創設者なのだ。(岩波文庫・久保勉訳)