中野京子『印象派で近代を読む』

中野京子印象派で「近代」を読む』


印象派の本は多い。中野氏の絵画の本はシロウトにも素直に読める。ドガ「エトワール」、ゴッホ「星月夜」などオールカラーのメイン絵画26作品も新書にしては、きれいすぎる。
中野氏の見方は「光を駆使した斬新な描法が映し出したのは、貧富の差を現した近代の闇である」。
印象派といえば、光の美しさであり、モネ「日の出」や、ルノワールシャルパンティエ夫人と子どもたち」のように、ブルジョワの幸福を描いたものも多い。だがエミール・ゾラ印象派の友人であり、そこには貧富格差、人種(反ユダヤ主義)、内乱(リュス「コミューン下のパリの街路」)のようにテロ的な多くの死体の散乱もある。
近代の象徴として、モネ「サン・ラザール駅」が描かれたが、カイユボット「床削り」や、ドガ「カフェにて」の虚無的・虚脱したアベックや、マネ「ナナ」のような娼婦、囲われた女性の闇もある。
モリゾ姉妹のように画家になりたくても女性差別のためになれず、意にそわぬ結婚で「主婦」になってしまう闇もある。モリゾ「揺りかご」は、主婦として生きる悲哀を見事に育児とかさねて描いている。
オペラ座は出会いの場所であるが、男が女をあさる場所でもあった。カサット「オペラ座にて」は、舞台などそっちのけのブルジョワ男性が、双眼鏡で女を捜す姿がえがかれていて、「闇」を感じる。
ドガ「エトワール」もバレーのプリマドンナの美しさを印象派の手法で美しく描くが、背後に隠れるように黒服のパトロンが顔を隠して立っている不気味さが、併存しているのである。
印象派というモダニズムは、ゴッホの「闇」に行き着くのだろうか。印象派の絵画はヨーロッパ世界大戦をのがれ、アメリカに大量に購入されていく。ここにも、印象派の矛盾があらわれている。新しい印象派論が期待される。(NHK出版新書)