ユゴー『ライン河幻視紀行』

ヴィクトル・ユゴーを読む③」
ユゴーライン河幻視紀行』

 私はユゴーのこの本を読んでいるとき、ユゴー版の松尾芭蕉奥の細道』だと思った。詩人ユゴー芭蕉と違い、ほとんど詩は書いていない。そのかわりに、伝説や民話が多くある。
 ライン河にこんなに廃墟になった城が多いとは。ローマ時代から、神聖ローマ帝国、30年戦争、ナポレオン侵攻と、ライン河は独仏伊の境だから、盗賊貴族が城を多く築き、それが廃墟になっていく。
ユゴーは、一つ一つ丹念に廃墟を訪ね、履歴を知ろうとする。ファルケンブルグの河畔を歩き、「山、草原、流水、おぼろな緑うっすらとした霧、半眼に開いた猫の目から放たれたような玉虫色の光きらめき」のなかで、ユゴーは褐色と玄武岩の固まりの廃墟を見つける。
 その廃墟の石盤には、武装した騎士と詩があり、騎士には頭がなかった。
その謎ときはともかく、私は芭蕉が何回も戦火を受けた平泉を訪ねて「夏草や兵どもが夢の跡」と詠うのと同じ感性を感じた。
ユゴーは、私はフランス人でなければドイツ人だ、というほどの両国融合の精神をもっていて、このライン紀行を読んでいても、現代EUの精神が感じられる。すでに150年前にユゴーはヨーロッパ人だった。
 ラインの泉から、アーヘン、ザンクト・ゴアール、ロルヒからビンゲン、ハイデルベルクを旅人として歩きながら、ラインを巡る歴史を語り、さらに残された伝説や民話を書き留めていくのが面白い。
 悪魔と修道士の伝説、猫城、鼠城、ローレライ、床屋の村の伝説、鼠の塔の伝説などいずれも面白い。
「美男ペコバンと美女ボールドゥールの物語」は、グローバルな舞台であり、「千夜一夜物語」のようなスケールをもっていて、オリエンタリズムと批判されるかもしれないが、フランス・ロマン主義の幻想の大きさを感じさせる。(岩波文庫榊原晃三編訳)