佐藤慎一編『近代中国の思索者たち』
佐藤慎一編『近代中国の思索者たち』
19世紀末清朝崩壊期から1949年中華人民共和国成立期にかけての、中国思想界は「百家争鳴」的であり面白い。この本は魏源から毛沢東までの20人の代表的知識人の思想を紹介している。
編者の佐藤氏は、毛沢東思想の勝利という単線的思想史を否定している。私は逆にこの百家争鳴時代が毛沢東思想に大きな影響を与えていると思う。
日清戦争の敗北で、日本の明治維新に似た変法運動を担った康有為と梁啓超の思想に、西洋思想と中国思想の相克をいかに超越するかがあらわれている。康の平等=大同思想。梁の停滞史観に対する進化史観とみると、彼らが単なる「近代主義者」というより、中国ナショナルの新儒学主義者であるようにも感じる。
この時代の大思想家・譚嗣同は、仁=平等と、格致=科学を求め、「仁学」では、エーテル=気一元論を唱えている。孫文は三民主義を唱えたが、民主主義者でなく、賢人政治論である。
皮肉なことに、共産党を設立した陳独秀は、西洋思想の「科学」と「民主」の唱道者だった。佐藤氏は中国共産党と中国国民党は、共に抗日の五・四運動から産まれて、ソ連の民主集中制を導入した双生児であったと見るのは、面白い。共産思想と新儒学思想は、正反対に見えるが中国固有の変革を目指す点で同じだというのも、はっとさせられる。
毛沢東の「新民主主義論」によって、後進国である中国は、脆弱なブルジョワジーに代わって労農主体の共産党が、近代を飛び越して社会主義に向かおうとした。だが、資本主義の育成が、近代ナショナリズムを強め、社会主義より国家資本主義に向かう素地をつくった。
近代中国にダーウィンや、イプセン、マルクスが入ると「主観能動性」が重んじられた。中国に自由主義思想は根付かなかった。ただし胡適はイブセンを紹介して個人主義やエゴイズムの重視を主張し、「寛容は自由より重要である」と主張した。改革開放時代になり、胡適の再評価は面白い。(大修館書店)