石川九楊『<花>の構造』

石川九楊『<花>の構造』

          書家・石川氏の花を巡る日本文化論である。書家らしく花を、漢字、ひらがな、カタカナの使い方で様相を見ようとする。
          三重性の文字をもつ日本語は、単一言語ではないと石川氏はいう。西欧言語は声から発生するが、東アジアの言語は漢字という文字から発生した。一字が一語の漢字から、日本はひらがな、カタカナを発明した。
          石川氏によれば、書の筆の使い方では、漢字は筆を垂直に立て書くが、ひらがなは筆を寝かせてさらさらと走らせる。
中国では、花は「華」であり、花を左右対称に垂直に活ける「立華」で、日本では散らし書き風に何本も立てる。日本語の花は「はなれる=別離」から、感傷的な「散華」にいきつくが、中国の華は花卉栽培、本草学などの現実定、科学的意味合いが強く別れといった感傷性はないと石川氏はいう。
          石川氏の花文化論は、ひらがなの「はな」として、万葉、古今、新古今の短歌に行き着く。万葉で多く歌われるはなは、①はぎ②うめ③たちばな④すすき⑤さくらだが、古今せは①さくら②もみじ③うめ④をみなえし⑤はぎだという。古今により、四季と性愛が花と結びつく
          四季と性愛が裏表に歌われるのが、日本古典和歌の特徴である。西欧の花言葉が、聖書やギリシャ神話から生まれたが、日本の花言葉は古典和歌からである。石川氏の本で面白いのは、そうした花言葉が、演歌(艶歌)など現代の流行歌に流れ込んできているという分析だ。
          石川氏によると、花は「涙」「別れ」という象徴的意味を含みこんで、感傷的に使われるという。艶歌が古今和歌とつながり、桑田佳祐明日晴れるかな」、コブクロ「蕾」、石原裕次郎「北の旅人」、八代亜紀「愛の終着駅」、都はるみ「北の宿から」など、涙雨と花の結晶が論じられている。
          藤あや子「花のワルツ」は、「花よ、花、花、泣かないで」と「別れ」と「雨」が象徴的に歌う。
          森山直太朗「さくら」は、「さくら、さくら、ただ舞い落ちる」と、花、散る、旅立ち、別れ、泣くという古今的感性で花を扱っている。流行歌は古風な花的感性にを継いでいると、石川氏はみている。(ミネルヴァ書房