狩野博幸『若冲』

狩野博幸若冲

  若冲ブームが続いている。2016年東京都美術館では、代表作約80点を生誕300年記念で展覧会が開かれたし、NHKスペシャル(4月24日)「天才絵師若冲の謎にせまる」を放映した。
 これまでは奇才といわれ、異端視されてきたが、いまや江戸中期の円山応挙池大雅とともに、京都画壇の大家になっている。
  狩野氏は、近世美術史家だが、若冲再発見の一人だけあって、この本は若冲を丹念に追う力作である。18世紀京都の知識人界との関係という広い視点でとらえている。
  若冲を異端の八百屋出身の貧乏・孤独の絵師という見方を、狩野氏は史実から退けている。若冲は京都・錦小路の富裕な青物問屋の主人で、40歳で家督を譲り絵師に専念した。富裕だから、長崎・平戸からペルシャンブルーという新奇な絵の具さえも入手できた。
 生活のため絵を描いたわけでなく、晩年の天明大火で三軒の持ち家が焼けてから、寺社の障壁画を描いた。狩野氏によれば、若冲は初期に狩野派を学んだが捨て、中国宋元画をも模写したが、それも捨て独自の花鳥画にむかったという。
  狩野氏は若冲相国寺の名僧・漢詩人の大典和尚に,いかに影響を受けたかを述べている。だが「禅」との関係は薄いと見ている。
    それよりも大典和尚により、知識人層と交際し、博物学本草学の木村兼葭堂との関わりも暗示している。若冲の花、虫、鳥、魚など群れの絵は、博物的なのもわかる。
 「動植彩絵」30幅は、動植物同士のエロスによる構図を感じさせる。雄雌の鶏や鴛鴦、鸚鵡もそうだ。植物と動物が求婚し会っている。「郡鶏図」もそうだ。鯨と白象図屏風」さえも、二者のラブを感じる。病葉さえ綿密に描く。
  狩野氏の本で、若冲はオタクではなく、町奉行所と組んで錦小路市場を営業停止する陰謀に、江戸表に直訴しようとした商人魂の持ち主で、晩年の伏見義民事件で直訴した7人の町人を、伏見七布袋の人形図として描いたというのは、興味深い。
   若冲の絵はアニメ的であり、水墨画も少数しかない。デジタル画素のような細密画でもあり、博物的な自然の写生主義(点描主義)も感じられる。西鶴の画人版とさえ感じられる。勿論西鶴のような色と欲の直接話法はないが。日本的自然リアリズム。(角川ソフィア文庫