『東海道中膝栗毛』(2)

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東海道中膝栗毛』(2)

      ほとんどが会話体で書かれているから、狂言や落語と似たような構成になっている。それに肝心なところに狂歌がはさまれ、「伊勢物語」などの和歌のように重要な役割をしている。
      主人公二人を、中村幸彦氏がこう述べているのが的確である。一人はデブで色黒く、あばたの鼻の穴が大きい髭面の中年男である。もう一人は、背が低い獅子鼻、役者の過去をおもつ30過ぎの男である。二人は若いときホモ・男色関係もあり、弥次さんは、駿府の金持ちの道楽息子で北と江戸に駆け落ちするのだ。
      遊民のその日暮らしも尽きて家財道具を売って逃走して「お伊勢参り」となるのが、発端である。旅の恥は掻き捨てという「自由」は、ノマドだったからだ。
      先ず筋がないのである。東海道の宿場から宿場ごとに出来事があり、読み切り連載なのだ。「藤枝ヨリ島田ヘ2里8丁」などと分かれている。
シーンは街道だから、宿屋、遊郭茶店が多く、飯盛女、馬。籠担ぎ、船頭などに、旅人として上方商人、隠居、髪結い、僧侶、乞食などが多い。その絡み合いや、弱者いじめもある。
      弥次北八が、さまざまな「だましーだまされ」のシーンが多い。大きな悲劇や、悪に陥る前に、笑いなどで、うまく処理されて旅は続いていく。
小便、大便、雪隠など糞尿譚も数多くある。船で川を下っているとき、弥次郎兵衛は小用をもよおし、溲瓶とおもい酒お燗よう徳利に小便をし、間違って朝北八らが酒と思い飲んでしまう。
      弥次さんが、腹痛を訴え医者だとおもったのが、宿屋の産気づいた娘のところに来た産婆で、腰をさすりいきんばさせられる。ラブレーやスイフチ的だ。
      狂歌を作って和解という例もいくつかあるのが面白い。ナンセンスさが、深刻な事態を救うのである。      脚本家伊馬春部の現代語訳もよんだが、「向こう三軒両隣り」という連続ラジオドラマの作者だけあり、会話のセリフがうまい。
      一九の時世の狂歌「この世をばどりゃお暇と線香の煙とともにはいさようなら」
小学館「日本古典文学全集47巻」、中村幸彦校注、伊馬春部訳、上・下巻、岩波現代文庫