伊東光晴『ガルブレイス』

伊東光晴ガルブレイス
20世紀アメリカの経済学の巨人・ガルブレイスを、伊東氏は、社会経済思想史の視点で描く。高齢の伊東氏の渾身の力作であり、読んでいて感動を覚える。
ガルブレイスといえば、民主党リベラルの立場であり、ケネディ大統領とも親しかった。経済学から見ると、サミュエルソンなど新古典派総合を批判したし、フリードマンの新自由市場の保守派とも対立している。ウェプレンなどの制度学派に近い。
伊東氏は、ガルブレイスは経済学の「通念に挑戦」したという。『アメリカの資本主義』(1952年)では、資本主義は市場原理主義による「競争」社会という通念にたいし、アメリカ主要産業は少数大企業の寡占世界として、農業、中小企業、サービス業などの競争市場と二重構造になっていると指摘した。
ガルブレイスの凄さは、寡占にたいする「拮抗力」が、労働組合や小売チエーン成立、消費者への通信販売などで示したことだ。
競争と拮抗力は、企業を株主や経営者の所有という「ストックホルダー・カンパニー」から、従業員、消費者、地域社会などの責任をもつ「ステイクホルダー・カンパニー」に変えていく。
『ゆたかな社会』(1958年)では、ゆたかな社会の生産者優位から、消費者主権の重視や、広告・宣伝のメディアとの「依存効果」を指摘し、貧富の格差、ワーキングプアの存在まで踏み込み、豊かな社会の貧困を取り上げた。
『新しい産業国家』(1967年)では、巨大企業がいかに市場を無効にし、コントロールし、長期継続的契約で発展したかを分析している。新しい産業国家の背後には、寡占理論があり、科学技術革新による「テクノストラクチュア」の巨大組織になり、経営者の報酬が巨額化する。さらに、軍事研究開発の「産軍複合体制」が成立し、福祉・教育などは格差が出来る。
『経済学と公共目的』(1973年)では、農業、中小企業、サービス業などの経済弱者は、「自己努力が自己搾取」に行かざるを得ないと述べ、公共国家として関与を行うべきとして「小さな政府」に真っ向から批判した。貧富格差をいかに是正するかが大きな公共政策の柱になる。
伊東氏の本を読んでいると、ガルブレイス没後、アメリカが、「新しい産業国家」から、製造業の空洞化、IT革命などで、「ウォール街財務省複合体」という「新しい金融国家」になりつつ在るのを見て、どう分析するのかを知りたくなる。(岩波新書