五味文彦『中世社会のはじまり』

五味文彦『中世社会のはじまり』

   日本史学者の中世論である。院政の始まりの1068年、後三条天皇から白河、鳥羽、後白河と続き、平氏政権の武家政権成立、鎌倉幕府承久の乱から蒙古襲来まで通史が書かれている。
   五味氏の通史も目配りがきているが、五味史観が面白い。地域権力の確立を「氏」から「家」形成から捉えている。
   院政とは天皇家の祖父ー父―孫の家の継承からなる家支配だ。白河院政の家支配は、貴族、武士の「家」まで行き着く。それは天皇家の家分裂の南北朝にいきつく。
   武士の家と地域社会の成長をも詳しく描かれている。家の継承や家同士の葛藤が、政争としての実力闘争に発展していく。武士の実力闘争の時代が始まる。
   五味氏が強調するのは、日本中世の「家」が、「日記を書く家」から、和歌や芸能の家成立につながっていく。「家の文化」は日本中世の特徴ではないのか。職能の文化と家は、つながっていく。
   五味氏は、職人的世界の職能分化を中世の特徴にあげている。職人の歌合として「東北院職人歌合」「鶴岡八幡宮放生会職人歌合」などには、医師と陰陽師、仏師と経師、鍛冶と番匠、刀磨と鋳物師、商人と海人、巫女と盲目など数多くの職能の生態が和歌に詠まれている。
   武士も家職であり、絵師は絵巻を描き、猿楽、田楽から能の世阿弥観世流家が成立する。職能分化は「型の文化」を作り出す。
   五味氏が指摘する日本中世の特色は、「身体の文化」である。後白河院後鳥羽院という天皇・貴族社会でも、舞、蹴鞠、武装など身体重視があった。
仏教でも、空也、一遍の踊り念仏かあった。栄西道元の座禅まで身体重視になっていく。お茶も養生訓練という身体文化から生じている。武者の実力も、武闘という身体闘争の結果なのである。
   運慶の彫刻も、肉体美。筋肉美という身体文化である。後鳥羽院の、承久の乱もその延長にある。後醍醐天皇の反乱もそうだ。「家、職能、身体」は、日本中性史では欠かせないことを、五味史観は教えてくれる。中国史、西欧史とはかなり差異がある。
   私は、言語も身体化したと思う。念仏は言葉の身体化だし、言語芸術の和歌は、身体の支配ー被支配の競争になり、権力機関として和歌所が設置された。出世手段にもなる。「家」化が起こる。(岩波新書