石川美子『ロラン・バルト』

石川美子ロラン・バルト

20世紀のフランスの批評家ロラン・バルト(1915―1980年)についての、仏文学者で『ロラン・バルト著作集』(みすず書房)の監修者の石川氏の、渾身のバルト論である。
バルトは、日本好きで、その『記号の国』は、バルトが日本の俳句や文楽にいかに魅せられ、自分の批評を作り出していったかで知られる。意味の中断、意味の複数性、過度の俳優演技の異化、東京の皇居など空虚な中心、解釈の不可能性、などを論じている。
バルトは晩年に小説や物語を創作しようとしたが、やはり俳句的な「瞬間のエクリチュール」による「断章」形式は捨てきれなかった。やはり晩年の『明るい部屋』で、写真を俳句的に捉えているのも注目される。
石川氏の本を読んでいると、バルトが母と読書(テクストの快楽)と、ピアノ、水彩画、南西部バイヨンヌ、それに同性愛を愛していたことがわかる。
とくに母への愛は強く、死後『喪の日記』まで書く。日記は2年間書かれ、カードは320枚になったという。
「言語の虚空」が広がり「愛する人を失った者は誰でも、その季節を思い出します。光、花、香りなどを。喪と季節のあいだには、一致または対比があります」
バルトは母の死から3年で事故死する。バルトを立ち直らせたのも言語への愛であり、プルーストの『失われた時を求めて』に似た小説の概要メモが残されていたという。
言語活動への愛と恐れ。概念は同一でないものを同一視することから生まれ、多様性と変化を縮小する。概念や言語は、何かに対して勝利する傲慢なもので、バルトは生涯を通じて、ただ一つの意味や、それを押しつけるものを嫌悪し、言語権力を恐れ、「概念を隠喩に置き換える」ことを重視したと石川氏は述べている。(中公新書