カント『永遠平和のために』

古典的平和論を読む(下)
カント『永遠平和のために』

1795年哲学者カントが、71歳の時書いた平和論である。秘密保護法や集団的安保法の今読むと、多くの示唆を受ける。
カントは平和に暮らす生活は、「自然状態」でない。自然状態は、敵対的な戦争状態なのだという。「平和状態は創設されなければならない」。それは「共同的=法的状態」によって人為的に作られる。
人間が個人で自由であり、すべての成員が唯一の共同の立法に従属し、国民として平等である「共和的」な体制が必要である。カントは共和的体制と民衆的体制を区別している。共和制は執行権と立法権が分離している。
カントは、国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎をおくという。巨大覇権国家専制でも、先進諸国の寡頭制でもなく、世界共和国でもない。いまの国際連合をイメージしている。ただし、各国の市民の相互訪問、交流など普遍的な「友好」のための「世界市民法」の必要は認めている。
常備軍の漸進的な廃止や、対外戦争のための国債発行の廃止、暴力的内政干渉の禁止などの予備条項のカントの規定は、いまや核軍縮、核拡散時代にますます重要性をましてきている。
「一国の軍隊をほかの国に貸し与え、共同の敵ではない第三国を攻撃するために使用する」ことは、道徳的人格の国民や、道義的国家を「消費的手段」にしてしまうという。集団的自衛権の廃止論である。また国際自由貿易が戦争を防ぐとか、恐るべき強大さにまで成長した近隣の強国が、不安の念を起こさせ攻撃してくると連合を組むことの妄想も批判している。
カントは現実主義の策略的政治家の詭弁的格率を挙げている。①まず実行し、そして正当化せよ②汝が実行したなら、否定せよ(無責任の体系)③分離して、そして支配せよ。これは、マキャベリ的政治家で、カントは「政治的な名誉」と「権力の増大」をこれらの動機としている。私は安倍政権の政治手法を連想した。
カントは、「公法の先験的公式」として「他人の権利に関係する行為で、その格率が公表性と一致しないものは、すべて不正である」と述べている。秘密にし、公に公表されないものが、法律で保護される日本の秘密保護法を見たら、カントは永遠平和への不正というだろう。
カントは現実主義者から理想主義と批判されることを想定して、いかに「政治」と「道徳」が調和される世界を築かれるかを追い求めている。この本の後半の「付録1・2」はその苦闘である。マックス・ウエバー『職業としての政治』に匹敵する深い政治家論である。(岩波文庫、宇都宮芳明訳)