エラスムス『平和の訴え』

古典的平和論を読む(上)
エラスムス『平和の訴え』

15世紀ヨーロッパは、フランスのイタリア侵入や、ヴァロア王朝とハプスブルグ王朝の戦争、さらに宗教改革による宗教戦争が荒れ狂う時代である。エラスムスの平和論は、キリスト教福音主義をベースにして、戦争惨禍の凄まじさを述べ、戦争を起こす権力(君主)の無責任と愚行を摘発し、和合と平和の世界を望んだ近代最初の平和論である。
エラスムスは、遍歴の修道僧であり、私生児であり、許可無く修道衣を脱ぎ捨て聖職禄も年金も得られず、苦難の生活を強いられ放浪した。レオ10世の特許状により、晩年は福音主義ギリシャ・ローマの古典主義を結びつけた。
新教と旧教の宗教対立にも「中立」をまもり、両派の和解に努めようとし、「私は世界市民であり、国籍に縛られない居留民である」と述べている。代表作『痴愚神礼賛』にも、「敵味方双方とも得より損をすることになるのに、なにがなんだかわからない動機から、こんな争いごとをやり始める以上に阿呆なことがあるでしょうか」と書いている。
エラスムスには、国際政治学、経済学、地政学など社会科学的な戦争論や安全保障論はもちろんない。現代から見ると、甘い戦争論・平和論に見える。だがヒューマニズムによる人間同士の相互愛や和合・共生の精神がみなぎっており、平和論の原点の対立の和解精神がある。
権勢と栄誉と冨と報復のための争いが、いかなる愚行を産むかが丹念に述べられている。「猫の額ほどのちっぽけな土地を自分の領地に組み入れたいために、あらんかぎりの動乱をまきおこして、てんとして恥じない君主」が愚行とされている。「野獣でも、大群で密集して相互で殲滅戦に突入することはしない。口では平和をいい、行いで戦争しかける」ともいう。
聖職者が戦争をおこない、国民全体の福祉を顧みない。戦争の原因は民衆と何ら関係のないところで決められる。民衆は平和を願っているのに、栄耀栄華を望む君主が戦争を望んでいる。この本は1525年パリ大学神学部によって告発され、焚書になっている。(岩波文庫、箕輪三郎訳、二宮敬解説)